私はごく一般的な仏教の家庭で育ちました。16歳の時に母を病気で亡くし、翌年父の再婚と、心の拠り所を失いました。何とか母の死をしっかり受け止め生きていきたいと、仏教に関する本を読んだりしながら、結婚、子育てと暮らしていました。

夫の転勤先であった長崎で7年間を過ごしていた時、キリスト教の歴史や文化に触れる機会が多くありました。次第にキリスト教に興味を持ちはじめ、クリスチャン作家の本を読むようになり、いつの日かクリスチャンになりたいと思うようになった頃 福岡へと戻りました。その頃から、自分で思い考えるように心がついていかなくなり、生きていくことがとても辛く苦しいものになっていきました。

そんな折、知人の紹介で、教会で人間関係講座という心の学びがあるので参加してみないかとお誘いを受け,出席しているうち、礼拝へと導かれました。

初めての礼拝で讃美歌を聴いていると、涙が止まらなくなり、礼拝堂の前のほうから「よく頑張ってここまできましたね、もうゆっくり休みなさい」というような声が私の心に届きました。 それから、しばらくして自宅近くの姪浜教会にご縁をいただき、200010月、40歳の時に奥村牧師よりバプテスマを授けて頂きました。

その後、夫の転勤で2003年に東京へ転居し、たどたどしい教会生活を送っていましたが、そこで神様は生涯忘れることのない姉妹との出会いを与えてくださり,今では姉妹と過ごした日々は 大切な宝物となりました

2010年熊本へ転居後、福岡に住んでいた夫の義父が体調を崩し、検査入院の結果、末期肺癌と診断され、熊本市内のホスピスへと転院しました。豪快な生き方をしてきた87歳の宗教嫌いな義父に、クリスチャン系のホスピスで最後の時を過ごす事を理解してもらうにはとても不安でしたが、心を尽くして話をして了解してもらいました。初めてホスピス病棟の部屋に入り、ベッドに横になり、目線を真っ直ぐ上げると、白い壁に十字架がひとつ掲げてあるのが 義父の目に止まり、じっと見つめていました。すぐにシスターが入って来られ、父の足元に跪かれ、布団に手をそっと差し入れ、足をさすりながら優しく話しかけられ、迎えて下さいました。そして、温かいケアーを受け、20111224日ホスピス病棟がクリスマスのお祝いに包まれた中、義父の枕元にはプレゼントが置かれました。そして日付けが25日に変わり、未明に息を引き取りました。また最後には綺麗に十字架が印された上掛けをかけてくださいました。

義父を見送り、ほっと一息ついたころ、教会生活をどうしたらよいか考えるようになり、その頃一度久しぶりに姪浜教会の礼拝に出席してみました。とても懐かしく、姪浜教会に戻りたいなあ、と思いましたが、自宅からの距離を考え、結局、他の教会へと転入会しました。

その頃、夫の義母が自宅で転倒し、骨折入院となり、認知症も進み、今後の生活などを考え、介護施設へ入所することになりました。一方、夫の義弟が生きていくことに希望がもてなくなり、失踪するという出来事がありました。色々と心当たりを捜してみるも、手掛かりはなく、数か月が過ぎたころ、市役所から連絡がはいりました。弟は末期の悪性リンパ腫になっており病院に入院していました。すぐに面会に行き、事情を聴いてみると、死ぬに死にきれずいたところ、H教会のホームレス支援によって助けていただいた事がわかりました。何という神様の守り導きかと、驚きと、怖さと、感謝と言葉になりませんでした。

それから弟は抗がん剤治療を数か月受け、生きる希望を持てるようになったものの、再発し 骨髄移植を受けましたが、急変し、移植後6日目に亡くなりました。移植前のカウンセリングの時、無菌室で初めて、教会の話などをいろいろとしました。その時H教会の献堂式の案内のチラシを私に嬉しそうに、見せてくれた弟の顔が今でも忘れられません。移植手術から亡くなり、H教会での葬儀、収骨までI先生たちが私たち家族の側でたくさんの時間をずっと共にいてくださいました。今振り返ってみると夢を見ていたのではないかと思うような時間で、感謝の言葉は言い尽くすことはできません。

神様から信仰を与えられ、姪浜教会へとつながりが与えられ、そこから又、つながり、弟に主の救いと祝福が与えられことを心から神様に感謝しています。

その後、義母はしだいに体調が崩れていき、弟の死後約2か月後の201411月に亡くなりました。夫の家も仏教ですが、不思議なことに、弟の葬儀がキリスト教式でしたので、義母の葬儀もキリスト教式でということになりました。

そして、今年2月末、K病院のホスピスに実家の父が入院し、一晩だけ、過ごして亡くなるという恵みが与えられました。母が亡くなったとき、私に人は死んだら無だと言い、無神論者でした。父との最後の大切な時間を、キリストの香り溢れる場所で私は父と二人だけで話が出来、父の耳元で讃美歌を歌うことが許されました。亡くなった時間が夕方7時頃だったのですが、S先生が今晩はここでゆっくり休んで下さい。そして、明日朝みんなで見送ります、と。優しい心遣いをしてくださり、翌朝、父を囲んで、一言ずつ声をかけ、讃美歌を歌い、見送っていただきました。

そして、ぽっかりと気が抜けたような状況の時に熊本地震が起こりました。今まで体験したことのない不安と恐怖のなかにいた時、思いがけず鈴木先生よりお電話を頂きました。『教会の方々が心配され、お祈りされています。いつでも姪浜に避難してきてください』と、温かいお言葉は、とても有り難く、祈り支えられていることを知り、心がほっと安らいでいきました。教会の皆さま、お祈りをほんとうにありがとうございました。

その後、我が家を訪ねて下さり、祈って下さいました。教会生活を続けていくことに、不安があり、深く行き詰まっていた時でしたので、改めて今後の教会生活をどう過ごして行けば良いか、考えさせられ悩みました。

この八月から息子が今後福岡で仕事をすることとなり、いずれ私も召されることや、家族への伝道なども考えました。そして、距離はありますが、姪浜教会にもう一度加えて頂き、皆様方と共に礼拝をお捧げし、最後は姪浜教会員として終わりたいと、強く思うようになりました。現在は南阿蘇で暮らしていますので、月に一度の礼拝を守る事を目標に、私にできる奉仕を与えてくださいますように、祈り求めつつ、教会生活を送っていきたいと願っています。今年で母を亡くして40年になります。そして、40年目に父が旅立ちました。

「わたしは40年の間荒れ野であなたたちを導いたが、あなたたちのまとう着物は古びず足に履いた靴もすり減らなかった」(申命記)

守り、支え、導いてくださる主の愛のまなざしに、少しでも応答していくことができますようにと祈ります。

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