「こどものように」

マルコ10章13-16節

「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(10:14)
ここでは、「神の国は子どものような者たちのもの」だということが語られています。ここで言う「こどものような者」というのは、単に「子どもみたいに純真無垢で素直な者」という事ではないと思います。
当時のユダヤ人の考え方では、子どもは律法を守る事ができないので、神の救いに値しないような存在でした。律法学者やファリサイ派の人々は、律法を守ることで神の国へ入ることができると信じていました。そして、律法に従うことができない子どもは、まさに神の国の外にいる存在とされていました。そのように、救われようの無い存在、それが、ここで言われている「子どものような者」なのです。
そしてまたイエス様は、続けてこう言っています。
「はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入る事はできない。」(10:15)
ここでは、「こどものように」ということが言われています。
幼い子どもは自分では何もできません。両親や兄弟など、誰かに支えてもらい、養ってもらわなければ、生きてはいけない存在です。そんな子どもは、自分の力に頼ることなく、完全に無力で、全てにおいて他の誰かに依存しています。このように、自分は無力で、100パーセント誰かに頼らざるを得ない、それが「子どものように」ということだと思います。
律法を守ることができない、救われようの無い者。そして完全に無力で、誰かにより頼むことしかできない者。それは私たちの姿なのだと思います。
私たちは皆、罪を持っており、本来救われることの無い存在です。そして私たちの罪は、どんなに私たちが努力をしても償うことはできません。私たちは自分の力では救いを得ることはできない、完全に、神様の救いの御業により頼むことしかできない者なのです。神の前に私たちは、子どものように無力な存在なのです。
神の国は、そんな子どものような者たちのものであると、イエス様は言っておられます。
神の国は、律法を守ることや人の行いによって入ることができるのではありません。子どものように無力で、救われるはずの無かった私たちは、ただ神様の恵みによってのみ、神の国に入ることができるのです。この神様の恵みをただただ受けとり、子どものように受け入れること、それだけが神の国に入る条件であり、私たちには、それだけしかできないのです。
そして子どものような私たちを、イエス様は迎え入れてくださり、その腕に抱き、手を置いて祝福してくださるのです。私たちは、このイエス・キリストを受け入れ、イエス・キリストを頼みとしたいと思います。それが、神の国に入るという事なのです。(安里道直神学生)

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