本日のローズンゲンの御言葉です。
「荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。」イザヤ35:6
「渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。」黙示録22:17
以前、一人の姉妹がこんな話をしてくれました。
「ある時、家族のことだったり、自分のことで、色々なことがあって、心も体も本当に疲れていた。そんな時に、アルバイト先に行ったら、店長が私を見て、『どうしたの?』と声をかけてくれた。余り詳しいことは話さなかったけれど、状況をおおかた理解してくれた店長は、アルバイトが始まる前に自分にさっと一杯の味噌汁をくれた。その味噌汁が本当に暖かくて、身体に染み入るような味だった。身も心もポカポカとなって、元気を取り戻し、アルバイトをすることができた。あの時、店長が出してくれた味噌汁の味は今も忘れられない。」
そんなことを話していました。私たちにも、そういう経験があるかも知れません。疲れていたり、渇いていたり、寒さに打ちひしがれていたり…。
そんな中、一杯の飲み物が身体中に染み渡るように感じるということがあるのではないでしょうか。同時に、そのような一杯の飲み物を差し出してくれた相手の優しさや温かさが心にしみてくるということもあるのだと思います。本日の箇所には、次のように記されています。
「渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。」
ここには、身体も心もカラカラに乾いている人に対して、「来なさい」と呼びかけながら、命の水を差しだしてくれているイエス様の様子が記されています。この御言葉を読みながら、姉妹が話してくれた「一杯の味噌汁」の話を思い出しました。そして、イエス様は、そのような形で私たちに出会ってくださる方なんだなということを思いました。
私たちがつらい時、しんどい時、疲れた時、心が渇いている時、孤独に打ちひしがれている時、そんな私たちを誰よりも思いやってくださり、私たちに一杯の水を差しだして、「これを飲みなさい」とおっしゃってくださる…。そんなふうに私たちに出会ってくださるのです。きっとそのような出会いというのは、私たちにとってかけがえのないものとなるのたと思います。
私たちには、日々色々なことがあります。疲れることも、しんどいこともあります。しかし、そのような私たちの思いを全てご存知で、私たちを招き、私たちに命の水を差し出してくださるイエス様がおられることを覚えていたいと思います。そのイエス様に励まされ、強められながら、一歩一歩の歩みを歩んでいきたいと思います。
(鈴木牧人)