本日のローズンゲンの御言葉です。

「彼らの苦難を常に御自分の苦難とし/御前に仕える御使いによって彼らを救い/愛と憐れみをもって彼らを贖い/昔から常に/彼らを負い、彼らを担ってくださった。」イザヤ63:9

「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。」1ペトロ2:25

先日から度々、リカレント研修会の報告をしています。今回のリカレント研修会では、寺園先生、小林先生、朴先生が講演をしてくださいました。

小林先生は、旧約聖書のアモス書を通して、アモスが語った預言の言葉から、時代に向けて語りかけられた神の言葉について話してくださいました。大変、興味深いお話しでした。

中でも特に印象的だった言葉が次の言葉でした。

「旧約聖書の神を見ていく時、やはり、聖書の神は『裁く神』であることを忘れてはならないと思う。しかし、その神は、裁かれている人々を痛み、悲しみ、苦しみつつ、その人の犯した過ちに自ら付きあう方でもある。そんな中、神は、人々の愚かな振る舞いに翻弄され、苦悩し、時に自らを悔いる方でもある。」 そのような話をしながら、こんなことをおっしゃっていました。

「私たちは時に、余りにも無責任に、物事を全て神様の責任にしていないだろうか。私たちの間に問題や争いが起こる時、自分たちの問題や責任を棚にあげて、何でも神様に押しつけ、『神様が何とかしてくれる』とか、『こんなふうになってしまったのは、神様のせいだ』としてしまうことがあるかも知れない。しかし、そんな私たちの無責任で、勝手な振る舞いが、神様を悲しませ、苦しませていることがあるのだということを心に刻む必要がある。そして、神様は、そんな私たちのただ中にもいてくださり、私たちに付きあい、私たちと苦悩を、御自分の苦悩とされていることを覚えていたい。」 心に残る言葉でした。

本日の箇所には、次のように記されています。

「彼らの苦難を常に御自分の苦難とし/御前に仕える御使いによって彼らを救い/愛と憐れみをもって彼らを贖い/昔から常に/彼らを負い、彼らを担ってくださった。」

本日の御言葉を読みながら、「彼らの苦難を常に御自分の苦難とし」という言葉が心に残りました。そして、改めて、先日のリカレント研修会の小林先生の言葉が心に迫ってきました。

まさに私たちの神様は、裁き主であると共に、裁かれている人々を痛み、悲しみ、苦しみつつその人の犯した過ちに自ら付きあい、私たちの苦難を常に御自分の苦難としてくださっている方なのだということを思いました。そのように、神様が関わってくださることは、私たちにとって何よりの慰めです。と同時に、私たちが自分の問題を全て神様に押し付けるのではなく、きちんと自分の問題として向き合うことの大切さを教えられるのではないでしょうか。

そんな中、自分の愚かさや過ちにきちんと向き合いながら、共に歩んでくださる神様に励まされ、慰められ、神様に進むべき道をさし示されていく…。その時、私たちは、私たちが本当に進むべき歩みを踏み出すことができるのではないかと思いました。         (鈴木牧人)

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