「マラ(苦しみ)と呼んでください」
ルツ記1:19-22
本日の箇所で、ナオミは、自分のことを「ナオミ(楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ)と呼んでください」と言いました。ナオミは、自分が置かれている境遇について考える時、名前でさえ、ナオミ(楽しみ)と呼んでほしくなかったのです。それより、マラ(苦しみ)こそ、相応しいと思ったのでした。実際、これまでナオミはそんなふうに言わないでいられないような経験をしてきました。ナオミは、元々、イスラエルのベツレヘムというところに住んでいました。しかし、ある時、ナオミは、夫のエリメレクや二人の子どもたちと一緒に、ベツレヘムから異国モアブに移住することにしました。ベツレヘムの地方に飢饉が起こったので、ここにいるより他の地に移り住んだ方がいいだろうと判断したのです。しかし、ナオミは、モアブの地で夫に先立たれ、その後、二人の息子にも先立たれてしまいます。結果、ナオミは全てのものを失い、無一文になって、ベツレヘムに帰ってきたのです。ナオミは心に計り知れないほどの苦しみ、悲しみを抱えていました。愛する家族を失った悲しみ…。それは何をもっても満たすことはできなかったのだと思いますし、モアブに移住したことに対する後悔も心に重くのしかかっていたことでしょう。ナオミには苦しみしか見えなかったのです。私たちは目の前にナオミのような人がいた時、どのように関わろうとするのでしょうか。これは自分自身の反省として思うことですが、私たちは時に、そのように悲しみにいる人の思いを十分にくみ取ることもないまま、私たちのペースで相手を解決しようとしてしまうことがあるかも知れないと思います。
本日の箇所で心に留まるのは、ルツの姿です。ルツはナオミに対して、何も言いませんでした。「全能者がわたしをひどい目に遭わせた」「わたしは神様に見捨てられている」と訴えるナオミの言葉を、そのまま受け止めているのです。本当のところ、ルツはナオミから聞く言葉を複雑な思いで受け止めていたのだと思います。ルツにとって、ナオミは特別な人でした。心から尊敬する姑でしたし、おそらく異邦人であるルツは、聖書の神様への信仰も、ナオミから学んでいました。しかし、ナオミが以前と別人のようになっていました。ルツに対して、信仰が躓いてしまうようなことばかり言うのです。ルツにしてみれば、正直、ナオミから、そんな言葉を聞きたくなかったのではないでしょうか。しかし、ルツはナオミの言葉をそのまま受け止めるのです。それは、何よりナオミの思いを知っていたからなのだと思います。ただ、そんなルツにも一つだけ最後まで譲らなかったこだわりがありました。ナオミから「あなたたちは自分たちの故郷に帰りなさい」と説得された時に、それを断固拒んだことでした。ルツが最後までこだわったこと…。それは、ナオミに対して「あなたのことを絶対に一人にはしない」ということでした。
そんなルツの姿から多くのことを学ばされます。私たちは目の前にいる傷んだ人に対して、何ができるのでしょうか。何より「あなたを放っておけない」「あなたを一人にしない」そのような姿こそ大切なのではないかと思うのです。