本日のローズンゲンの御言葉です。

なぜ、わたしの痛みはやむことなく/わたしの傷は重くて、いえないのですか。あなたはわたしを裏切り/当てにならない流れのようになられました。エレミヤ15:18

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。1コリント13:12

昨日の午前中の祈祷会で、M姉からこんな話を聞きました。

M姉の娘さんは、現在、大学で学んでおられるのですが、大学で大変仲のよいお友だちがいるそうですそのお友だちが最近、福島出身だということが分かったということでした。

娘さんは大学で学んでいる間も、よく「早く、福岡の実家に帰りたい」と思っているそうですが、そのお友だちはあまり実家に帰りたがる様子がなさそうで、それを不思議に思っていました。

「どうしてだろう?」と思っていたところ、実はそのお友だちが福島出身で、そのことが理由だということを話してくれたそうです。

そのお友だちの家は、もともと、農業を営んでおられました。しかし、2011年の原発事故で、避難を余儀なくされ、中学生の時は、親戚がいる千葉の実家で暮らしていたそうです。高校生になると、家族で郡山に移り住み、そこに住んでいたそうです。そして、大学進学で、そのお友だちは関西に出てきたそうですが、両親は現在、仙台に住んでいるとのことでした。ですから、実家に帰ると行っても、両親が住んでいる仙台には、そもそも余り思い出もないし、自分が慣れ親しんだ元の家には帰ることができない…。

そのような状況の中で、あまり実家に帰ろうと思わないということでした。

仲良くしてきたお友だちが、そんな色々な経験をしてきたことに驚かされながら、「ニュースを読むだけでは分からない、被災者の方々の傷みを思いました」と話していました。

昨日の午前中の祈祷会の終わりには、そのお友だちのことを覚えて祈りました。

本日の箇所には、次のように記されています。

「なぜ、わたしの痛みはやむことなく/わたしの傷は重くて、いえないのですか。あなたはわたしを裏切り/当てにならない流れのようになられました。」

本日の御言葉を読みながら、「なぜ、わたしの痛みはやむことなく/わたしの傷は重くて、いえないのですか」との言葉が心に迫ってきました。そして、今も止まない被災地の傷みや傷を思いました。被災地では今も先の見えない苦悩の中にあります。津波被災で大切な家族を失い、全てを失った苦悩も計り知れないですが、原発事故の苦悩は、言葉では言い表せないものです。先日、東日本大震災を覚えての礼拝を献げました。その中で、東日本大震災現地支援委員会から出された「東日本大震災から6年を数えての祈り」を祈りました。

その中に、こんな一文がありました。

「私たちが、今もなお放射能汚染の現実を理解されず、不安に怯え、苦悩しながら生きている人たちを忘れることなく、主の守りを祈り、共に歩み続けさせてください。」

昨日、Mさんから、娘さんのお友だちのことを聞きながら、この祈りの言葉を思い出しました。そして、震災で未だ苦悩されている方々を忘れることなく、主の守りを祈り、共に歩み続けることの大切さを改めて思いました。

(鈴木牧人)

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