本日のローズンゲンの御言葉です。

お前たちの周囲に残された国々も、主であるわたしがこの破壊された所を建て直し、荒れ果てていたところに植物を植えたことを知るようになる。エゼキエル36:36
わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。ルカ2:30-32

本日の御言葉には、次のように記されています。

「お前たちの周囲に残された国々も、主であるわたしがこの破壊された所を建て直し、荒れ果てていたところに植物を植えたことを知るようになる。」

私にとって、この御言葉は、忘れることができない御言葉の一つです。私が御言葉メールの配信を始めたのは、2011年の東日本大震災の時からでした。前にもお話したことがあると思いますが、震災の後余震が激しかったので、しばらく教会の牧師館で寝泊まりすることができませんでした。

そんな中、教会員のお宅にお邪魔して、寝泊りなどをしていたのですが、ある日、私たち家族で、Sさんという教会員のお宅で泊まらせていただくことになりました。妻と息子は、Sさんと子どもと一緒に寝室で寝て、私はリビングでコタツを借りて、一人で眠ることになりました。

そのコタツの中で、横になりながら、深刻になりつつある原発事故の報道をひとり夜遅くまで見入っていました。その時、ちょうど原発事故が深刻になりつつあるというニュースを夜通し報道していて、私はそれを見ながら、全く先の見えない状況に、ひたすら心揺さぶられていました。あれこれ考えても、どうにもならず、疲れて、そのまま眠り込んでしまいました。翌朝、隣の部屋から聞こえてきた声で目が覚めました。それは、Sさんとお子さんがその日のローズンゲンの御言葉を読む声でした。その日の御言葉が、エゼキエル36:36だったのです。

「お前たちの周囲に残された国々も、主であるわたしがこの破壊された所を建て直し、荒れ果てていたところに植物を植えたことを知るようになる。」

この御言葉を読み上げ、祈る声を襖越しに聞きながら、私の心にスーッと穏やかな思いが与えられました。不思議な平安が与えられたのです。現状としては、この御言葉が語っていることと全く逆でした。震災であらゆるものが破壊され、様々なものが荒廃してしまっているように思える現実がありました。しかし、だからこそ、これらの御言葉が神様の約束として語られていると思ったのです。今、この状況の中にも、神がともにおられ、希望の言葉を語りかけてくださっていることを実感しました。改めて、自分たちを一つところに立たせてくれるのは、御言葉なんだと思いました。

それから、数日経って、水曜日になりました。その日の祈祷会をお休みにすることにしました。後から聞くと、ちょうどあの日、郡山では一番放射能が降り注いだ時だったようです。そのことを思う時、皆、家の中で自宅待機していたことは良かったと思うのですが、祈祷会の中止を決めるメールを打つ時に、私はローズンゲンの日々の御言葉を送ることにしました。祈祷会さえ休むことになってしまったような状況の中で、教会の皆さんがどんな思いで過ごしているのだろう…。そんなことを思った時、皆さんも、私と同じように心揺さぶられているんじゃないかと思ったのです。そんな中、「せめて御言葉にふれる時間をもってほしい」と思い、この日から一日に一度、御言葉メールで送ることにしたのです。本日、この御言葉を読みながら、「あれから六年経ったんだな」ということをかみしめています。
そんな中、つくづく思うのは、自分たちを立たせていくのは、御言葉だということです。 御言葉の約束こそが、私たちを一つところに立たせてくれるのです。福島の状況を思う時、未だ途上にあることを思います。 改善された課題もありますが、未だ何も変わっていない課題もありますし、ますます複雑になってしまっている課題もあります。ただただ祈らされるばかりですが、これまでもそうであったように、これからも御言葉が私たちを一つところに立たせてくれるのだと思います。六年間を振り返って、改めて、そのように思うのです。

(鈴木牧人)

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