本日のローズンゲンの御言葉です。

「わたしは乾いている地に水を注ぎ/乾いた土地に流れを与える。あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ/あなたの末にわたしの祝福を与える。」イザヤ44:3
「祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、『ダビデの子にホサナ』と言うのを聞いて腹を立て、イエスに言った。『子供たちが何と言っているか、聞こえるか。』イエスは言われた。『聞こえる。あなたたちこそ、〔幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた〕という言葉をまだ読んだことがないのか。』」マタイ21:15-17
私が神学生として、姪浜教会に集っていた時のことです。クリスマスの時期に、近隣の場所にキャロリングに出かけていました。愛宕のマンションにも讃美をしに出かけたのですが、そのマンションの真ん中で、クリスマスの讃美を歌っていたところ、突然、マンションのベランダから大声で「うるさい、迷惑だ」との声が聞こえてきました。

近隣の方のクレームが来たので、私たちとしては讃美を辞めようかと思ったのですが、すぐに別のベランダから「辞めなくていい。続けて」との声が聞こえてきました。その声に励まされ、最後までクリスマスの讃美を歌ったところ、帰る時にはマンションのあちこちから、拍手の音が聞こえてきました。

クレームを言った人が誰かも分かりませんし、「辞めなくていい」と励ましてくれた方が誰かも分かりません。でも、その二つの声を聞きながら、色々なことを考えさせられました。

本日の箇所には、次のように記されています。

「祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、『ダビデの子にホサナ』と言うのを聞いて腹を立て、イエスに言った。『子供たちが何と言っているか、聞こえるか。』イエスは言われた。『聞こえる。あなたたちこそ、〔幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた〕という言葉をまだ読んだことがないのか。』」
ここには、子どもたちがイエス様に対して、「ダビデの子にホサナ」と讃美した様子が記されています。それに対して、祭司長たちや律法学者たちは腹を立て、辞めさせようとしました。これに対して、イエス様は「辞めさせなくていいんだ」ということを言われたのです。本日の御言葉を読みながら、愛宕浜のマンションで歌ったキャロリングの時のことを思い出しました。そして、思ったことは、私たちが信仰をもって、何かをしようとする時には、そこには色々な声があるんだなということでした。

私たちが信仰をもって、何かをしようとする時、そこには色々な声があり、時に愛宕浜のマンションで聞こえた声のように、本日の箇所に記されている祭司長たちや律法学者たちの声のように、そんな私たちを批判したり、辞めさせようとする声があるかも知れません。

しかし、一方で、別の声が聞こえてくることもあるんじゃないかと思います。色々な声に落ち込んだり心萎えてしまったりする私たちに「辞めなくていいんだ、大丈夫」と私たちを励ましてくれる声が聞こえてくることがあるのではないでしょうか。そんなふうに、批判的な声が聞こえてくることもあれば、肯定的な声が聞こえてくることもあるのだと思います。そんな中、私たちは、どの声に聞くのでしょうか。

色々な声が聞こえてくる中、最終的にイエス様が何と言っているのか、御言葉が何と言っているのかということに耳を傾けることができたらと思います。きっと、そこに私たちが本当にすべき最善があるのだと思うのです。

(鈴木牧人)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »