「本当にイエス様は復活した!」

ルカによる福音書24:13-33

「イエスは、『歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか』と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。」(24:17)

 本日の箇所には、イエス様の二人の弟子が歩きながら、あれこれと話しあっていた様子が記されています。でも、彼らの表情は暗いものでした。なぜそんな表情をしていたのでしょう。何よりもイエス様が殺されてしまったことのショックから、そんな表情をしていたのだと思います。彼らはイエス様が十字架につけられていく過程で、色々なものを見てきたのだと思います。信頼していた仲間の裏切りも見せられてきましたし、イエス様を捕らえ、十字架につけようとしていく人々の姿からも散々、嫌なものを見てきたのだと思います。十字架の出来事を通して、人間の醜さ、いやらしさ、ズルさ、愚かさ、浅はかさ、頼りなさ、情けなさ、罪の深さを散々見てきたのではないでしょうか。そして、そのことにどれほど傷つき、躓いてきたか分からないのだと思います。弟子たちにしてみれば、これから自分たちが何を信じ、何を目標にして歩んでいったらいいかも分からなかったのではないでしょうか。いずれにしても、彼らの表情は暗く沈みこんでいたのです。

そんな弟子のことを考えながら、私たちはどうだろうかと思います。私たちも色々な経験を通らされることがあります。悲しいことを経験することもありますし、辛いことを経験することもあります。人に躓きそうになることもあります。自分の歩みに行き詰まり、何を信じて、何を目標にして歩んでいったら分からなくなってしまいそうになることもあるのだと思います。そんな私たちは、時にエマオの途上の弟子たちと同じような暗い顔をしていることがあるのではないでしょうか。そして、そんなふうに、この二人の弟子たちの姿を、私たち自身に重ね合わせていく時、私たちは、本日の箇所から慰めのメッセージを聞くことができるのではないかと思います。二人の弟子たちが暗い顔で色々なことを話しあい、歩いていたところ、「イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた」(ルカ24:15)というのです。深い悲しみと痛みの中にあった二人の弟子たちに、復活されたイエス・キリストは自ら、近づいてくださったのです。そして、彼らと共に歩んでくださったのでした。この御言葉から私たちは慰めのメッセージを聞くことができるのではないでしょうか。私たちがしんどい時、苦しい時、悲しい時、私たちが暗い顔をしている時、イエス様は、そんな私たちに自ら近づき、私たちと共に歩んでくださるのです。

本日、イースターを記念する日に、私たちが心に刻んでいたいことがあります。それは「復活されたキリストはどこにおられるのだろうか」ということです。復活されたイエス様は、何より、現実の色々なことで傷つき、躓いてしまっている私たちに近づき、共に歩んでくださるのです。エマオの途上の弟子たちにそうしてくださったように、復活されたイエス・キリストは、日々苦闘し、悩み、時に落ち込んでいたりする私たちに近づき、共に歩んでくださるのです。(鈴木牧人)

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