「翻弄される人」
マタイによる福音書26章14-16節
本日の箇所は、イエス様の弟子であったイスカリオテのユダが、イエス様を裏切ったという記述です。ユダは何で、そんなことをしでかしたのでしょうか。正直、分かりません。ただ聖書の御言葉を読む時、色々なことを考えさせられるのではないでしょうか。
まず思うのは「自分をコントロールできないユダ」についてです。本日の箇所で、ユダはイエス様を裏切るために、祭司長たちのところに駆け込んだのですが、その行動は、正直、感情的な思いに突き動かされていったところが大きかったのだと思います。その決定的な出来事の一つが「ナルドの香油の出来事」だったのではないでしょうか。ある時、一人の女が極めて高価な香油をイエス様の頭に注ぎかけました。それを見た弟子たちは、彼女に腹を立てて叱りました。ヨハネによる福音書を読みますと、この時、女性を叱ったのが、イスカリオテのユダだったと記されています。しかし、ユダは叱った後、イエス様からそれをたしなめられてしまいます。ユダはそれに対してカーッとなったのです。自分が正しいと思って、この女性を叱ったのに、イエス様からは自分が間違っているかのような言われ方をされてしまう…。もうやってられない…。これまで積もり積もったものが爆発するように、ユダは祭司長たちのもとに駆け込んだのです。そんなふうに自分の湧き上がる感情をコントロールできないユダがいたのだと思います。
そんなユダの姿について、もう一つ思うことがあります。それは、ユダという人が、色々な意味で、間違いを受けいれられないと言いますか、認められない人でもあったということです。ナルドの香油の時に、この女性に烈火のごとく怒っている姿からも、間違いを受けいれることができない人なんじゃないかと思いますし、そのことをイエス様からたしめなめられると、さらに感情的になって、イエス様を裏切ろうとさえ考える姿からもそんなふうに思うのです。ユダは誰かの間違いを受け入れられないだけでなく、自分の間違いも認められない人でした。そして、そんなユダについて考える時、「間違いを受けいれられない、認められない」ということの先に、「赦せない人」でもあったんだろうなと思うのです。
本日のユダからもう一つ思うことは、「お金に翻弄されている人」の姿です。イエス様を裏切っていくユダ…。そんなユダの周りには常にお金の問題が付きまとっていました。ナルドの香油でも、ユダが激怒したのは、お金の問題でした。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」(26:8-9)ユダは、そのように激怒しています。その一方で、ユダは仲間の金庫番をしながら、そのお金を誤魔化してもいました。そして、さらに本日の箇所で祭司長たちに聞いたのもお金のことでした。
そんなユダの姿を思いながら、自分はどうだろうかと思います。「自分はユダとは違う」と言えるでしょうか。正直、私自身、ともするとユダのように迷ってしまうことがあるんじゃないかと思います。そして、そんな自分を思わされれば、思わされるほど、イエス様にきちんと見上げていきたい…。イエス様にしっかりと繋がっていきたいと思うのです。