本日のローズンゲンの御言葉です。
「死ぬことなく、生き長らえて/主の御業を語り伝えよう。」詩編118:17
「何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」 使徒16:23,25
本日の箇所には、次のように記されています。
「何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」
ここにはパウロとシラスが宣教の働きをする中で、牢獄に捕らえられた様子が記されています。
しかし、その獄中で、パウロとシラスは、賛美の歌を歌っていたというのです。本日の御言葉を読む時、いつも思い出すことがあります。以前、神学校で学んでいた私の友人が、こんな話をしてくれました。
「神学校の先生が、『私はパウロとシラスが獄中で讃美していたという箇所がとても好きだ』 と話していた。私たちは、そんなふうに困難の中にあって讃美することができる信仰が与えられているし、そのような信仰に生きていたいと話していた。先生は、この聖書の箇所が、ぜひ絵で描かれていたら、見てみたいとも話していた。ぼくもそう思う。」
そこで、その友人のお祝いに、パウロとシラスの獄中での讃美を題材に何かを作りたいと思い、木彫りのレリーフをプレゼントすることにしました。そのレリーフを作りながら、パウロやシラスの心境について、あれこれと考えました。もし自分が同じような状況に置かれていたら、どうだろうと思いました。
理不尽な形で投獄されたことに対する納得できない思いや、怒りも湧き上がってきたのではないだろうか…。これからのことに対して、不安や恐れも湧き上がってきたのだと思います。そんな中、普通、とても讃美などできるような状況ではなかったかも知れません。しかし、そのような状況の中で、パウロやシラスは讃美したんだなと思いました。そして、改めて、その先生が言われた「私たちは、そんなふうに困難の中にあって讃美することができる信仰が与えられているし、そのような信仰に生きていたい」という言葉が心に迫ってきました。
獄中に置かれるというほどの歩みでなくても、私たちはしばしば困難の中に置かれることがあります。不安や恐れで心揺さぶられることがあります。しかし、本日の御言葉から、改めて、私たちにそのような状況にあって、讃美することができる信仰が与えられているのだということを覚えていたいと思います。そして、そのように讃美することができるのは、何より、私たちが主を見上げ、主に全ての委ねることができるからなのだと思います。共にその主を見上げて歩んでいきたいと思うのです。 (鈴木牧人)