「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」

マタイ26章51-56節

 本日の箇所を読みながら、何より心に迫ってきたのは、イエス様がペトロに語った「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」(26:52)という言葉です。この言葉をしっかりと心に留めておきたいと思いました。しかし、その一方で思ったことは、いざ自分が本日のペトロと同じような状況に置かれたらどうだろうかということでした。実際にこのような状況にいたら、イエス様の言葉をきちんと聞くことができるだろうか…。剣をさやに納めることを躊躇してしまわないだろうかと思ったのです。そして、そんな自分を思いながら、おそらくそういう自分というのは、その時々の「今の状況」しか見えていないんじゃないだろうかと思いました。あるいは、「自分」のことしか見えていなかったり、その時々の「自分の都合」だけしか考えられなくなっているのではないかと思ったのです。

マタイ16:21-23には、イエス様が12人の弟子たちに十字架の受難について預言された記事が記されています。この時、イエス様の言葉に動揺したペトロは、イエス様をわきへ連れて行き、いさめ始めました。私は16:21-23のペトロの姿を思う時、本日のペトロの心境と通じるところがあったのではないかと思います。16:21-23のペトロも、本日の箇所のペトロも、危機感を感じながら、心の中が不安や恐れで一杯だったのではないでしょうか。そんなペトロが、16:21-23では必死になってイエス様をいさめようとし、本日の箇所では剣を手にとって戦おうとしているのです。その両方とも、ペトロなりに必死だったのだと思います。しかし、そんなペトロに対して、イエス様は言われました。「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(マタイ16:23)。この言葉が胸に突き刺さります。ペトロはペトロなりに必死でした。でも、そんなペトロは、結局、人間的な思いしかなかったのです。結果、どんどん視野が狭くなり、今のこと、自分のこと、自分の都合のことしか考えられなくなっていったのです。そのようなペトロの姿が、時々の私自身の姿に重なってきます。日常の歩みを振り返る時、度々、そういう自分がいるのではないかと思います。必死になってあれこれと考えているのですが、ともするとすぐに、神のことを思わず、人間のことを思っている自分がいるのです。そして、そういう自分というのは、心揺さぶられれば揺さぶられるほど、視野が狭くなり、今のことしか見えなくなり、自分のことしか見えなくなり、自分の都合でしか物事が考えられなくなってしまうのです。そして、そういう視点で、何かをしようとしても、神様の祝福も平和も平安も建て上げていくことはできないのです。良かれと思ってしたことで、空回りをしたり、全然とんちんかんなことをしていたり、神様が抱いておられる平和の計画と全く反対の方向に向かおうとしている自分がいたりするのです。そんな自分を思いながら、自分に何より必要なのは、そういう自分に砕かれて、「神のことを思う」ことなんだと思いました。何より、今、この状況にも生きて働いておられる神様に信頼すること、そして、神の御心がどこにあるのかを思うこと…。そのような視点に変えられる時、私たちは本当に見上げるべきものに目を向けることができるのではないかと思うのです。

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