本日のローズンゲンの御言葉です。
「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。」創世記18:27
「ひたすら祈りなさい。」コロサイ4:2
本日の箇所には、次のように記されています。
「ひたすら祈りなさい。」
本日の御言葉を読みながら「ひたすら」という言葉が心に留まりました。そこで聖書の原文にあるギリシア語を調べてみたところ、「プロスカルテレオー」という言葉が使われていました。これは「プロス(接して)」という言葉と、「カルテレオー(ゆるがない)」という言葉が合わさった合成語です。意味としては「ゆるがないで忍耐強く続ける」「専念する」「ねんごろにする」という意味があります。「ひたすら」という言葉について調べながら、色々なことを思いました。「ひたすら祈りなさい」ということ…。それは、ただ「祈る」ということについて言われているんじゃないんだなと思いました。大切なことは、「祈り」に対して、ゆるがない思いを持ちなさい…。「祈り」に信頼しなさい…。そのように言われているのだと思ったのです。そんな中、「祈り」から離れることなく、「祈り」にいつも繋がっていなさいということが言われているのではないでしょうか。
私はよく人に「祈りのノートをつけたらどうでしょうか」と勧めることがあります。悩んでいる時、しんどい時、その思いをそのままノートに書きながら、今、自分の心にある祈りの言葉を
ノートに書いてみたらどうでしょうかと勧めるのです。なぜそのようなことを勧めているのかと言いますと、そのノートを見る時、神様が私たちの祈りに応えて、働いてくださっていることがはっきりと分かるからです。神様の御業というのは、時に私たちにとって分かりずらいことがあります。今日祈ったことが明日応えられるということばかりではありませんし、ずい分時が経って、祈りの答えが示されるということも多々あるのだと思います。また、すぐには事柄が変わらなくても、少しずつ少しずつ事柄が変えられていくということもあります。私たちは一度、困難に直面して、それを乗り越えられたとしても、すぐまた別の課題に向き合わされることもあります。そのような時、困難を乗り越えられた神様の取り扱いに気づかないままでいることもあるのだと思うのです。そんな中、祈りのノートに自分の思いや祈りを書き込んでおくと、私たちが気づかなかった部分で、神様が私たちの祈りに応えて、働いてくださったのかということがはっきりと分かるのです。そのような経験をさせられる時、私たちは「祈り」の力を知らされますし、「祈り」に信頼するようになっていくのだと思います。「祈り」に信頼し、ゆるがない思いで「祈り」に繋がり、「ひたすら祈りなさい」…。本日の御言葉から改めて、このメッセージが心に迫ってきました。 (鈴木牧人)