本日のローズンゲンの御言葉です。
神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。列王記上8:27
いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。ヨハネ1:18
私は時々「キリスト教が語る『三位一体(さんみいったい)』ということが分かりません」と質問をされることがあります。「三位一体」とは、「聖書の神は、唯一の神であるが、父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神とそれぞれ三つの位格において存在する」というキリスト教の教理です。
この「三位一体」をどう受け止めればいいのか分からないと言うのです。
きちんと説明をすることは難しいのですが、時々にこんな説明をさせていただくことがあります。
「『三位一体』ということを、私たちの側から考えていくなら、私たちは三つの仕方で神様のことを知ろうとすることができるということなのだと思います。そして、それというのは、『太陽を知る』ということに似ているんじゃないでしょうか。私たちが『太陽を知る』という時、三つの仕方で知ろうとすることができます。
まず、文献や色々な資料などを調べながら、『太陽そのものを知ろうとすること』です。
もう一つは、実際に日中に外に出てみれば、目視で太陽を見ることができます。
そのように実際に『見ることを通して太陽を知ること』もできるのだと思います。
さらに言うなら、私たちのもとには太陽の熱が届いています。その熱を肌で感じることができます。
そのように『目には見えませんが、実際に肌身で感じる感覚を通して、太陽の存在を知ること』もできるのだと思うのです。この三つの仕方で、私たちは『太陽を知る』ことができるのです。
私たちが『神様を知る』ということも、この三つの仕方があるのだと思います。
一つは、様々なことを学びながら、『神様そのものを知ろうとすること』です。
これこそ、「父なる神様を知る」ことなのだと思います。
加えて、実際に具体的に目に現れた姿で、私たちは『見ることを通して神様を知ること』もできるのだと思います。これこそ、「イエス・キリストを通して、神様を知る」ことなのだと思います。
三つ目に、『目には見えませんが、実際に肌身で感じる感覚を通して神様の存在を知ること』もできるのだと思います。これこそ、「今も私たちのただ中で生きて働く聖霊の取り扱い、働きを通して、神様を知る」ことなのだと思います。そのように私たちは、この三つの仕方で『神様を知る』ことができるのです。
このような理解で、父、子、聖霊の神様のことを整理することができるのではないでしょうか。」
そんな説明をさせていただくのです。
この話は、以前、ある先生から教えてもらった話なのですが、お話を聞きながら、私自身、父、子、聖霊の神ということを整理することができました。
本日の箇所には、次のように記されています。
「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」ここには、「独り子である神」が「神を示された」ということが記されています。
まさに、神の独り子イエス・キリストが見える形で私たちに父なる神をさし示してくださったのです。
本日の御言葉を読みながら、改めて、三位一体の太陽の話を思い出しました。
そんな中、改めて、イエス様に眼差しを向け、そして、今も生きて働く聖霊の取り扱いを感じながら、もっともっと神様のことを知っていきたいと思わされました。 (鈴木牧人)