本日のローズンゲンの御言葉です。
「わたしは敵軍を追い散らし/わたしの神によって、城壁を越える。」詩編18:30
「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」1ヨハネ5:4
キリスト教会がこれまでの歴史の中で大切にしてきた信仰の言葉に「使徒信条」というものがあります。
「使徒信条」
「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
われはそのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に上り、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来たりたまいて、生ける人と死にたる人とを、さばきたまわん。
われは聖霊を信ず。また聖なるキリスト教会・聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、限りなきいのちを信ず、アーメン。」
「使徒信条」というのは、キリスト教会が長い間、自分たちの信仰をあらわす土台となる言葉として、受け継いできた大切な信仰の言葉です。この使徒信条には、私たちがいつもしっかりと覚えておきたい信仰のエッセンスがギュッと詰まっています。それゆえ、しばしば教会において、この使徒信条を毎週ごとの礼拝の時、会衆全員で唱えているところもあります。ただ私たちの教会では、そのような形で唱えることはしていません。それは、それなりの理由があります。私たちバプテストの群れは、これまでの歩みの中で、個々人の主体的な信仰というのを大切にしてきました。ですから、信仰告白においても、決められた言葉で信仰を表すのではなく、あくまで自分自身の自由な言葉でもって信仰を表すことを大切にしてきたのです。それゆえバプテスト連盟全体の立場、教会の立場、そして、一人一人の信仰の立場を表す時も、信条という形ではなく、あくまで信仰告白というかたちで表し、お互いの立っている場所を確認するため、「使徒信条」を礼拝の中で唱えるということをしてこなかったのです。
しかしだからと言って、この「使徒信条」の内容を否定するというのではありませんし、軽んじるというのでもありません。やはりこの「使徒信条」には、私たちがいつも心に留めておきたい大切なメッセージを語られているのだと思います。ですから、私たちは自分なりの信仰の言葉を生み出すにしても、その基を「使徒信条」の言葉に見出し、この言葉を心に刻んでいきたいと願うのです。
本日の箇所には、次のように記されています。
「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」
ここには、私たちにとっての「この世に勝る勝利の秘訣」として、「信仰」が挙げられています。まさに「使徒信条」で告白されている「父なる神」を信じ、「主イエス・キリスト」を信じ、「聖霊」を信じる信仰、その信仰こそ、私たちの「勝利の秘訣」なのです。私たちは周りを見渡す時、自分たちが本当にちっぽけで、自分なんかに何ができるだろうと思うことがあるかも知れません。しかし、私たちには信仰が与えられています。そして、その信仰は私たちが世にあって勝利することができる秘訣なんだ…。そのことを覚えながら、信仰に立ちつつ、私たちができることを一つ一つしていきたい…。そんなふうに思うのです。 (鈴木牧人)