本日のローズンゲンの御言葉です。

「あなたの贖い主/あなたを母の胎内に形づくられた方/主はこう言われる。わたしは主、万物の造り主。自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。」イザヤ44:24

「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。」使徒17:24-25

以前、ある先生から、こんなことを聞かれました。

「鈴木くん、きみにとって、神様は必要だと思う?」

この質問に対して、私はすぐに「必要だと思います」と答えました。すると、その先生は、さらにこんなふうに尋ねてきました。「じゃあ、神様はきみのことを必要としていると思う?」

私はその質問を受けて、どう答えればいいか分かりませんでした。すると、その先生は、こんなふうに言いました。「きみが神様を必要としているように、神様もきみのことを必要としておられるんだよ。もちろん、本来の話から言えば、私たちがいなくても、神様はご自身だけで何もかもおできになる。私たちに何ができるんだろうと思う。でもね。神様はそんな私たちのことをあえて必要とし、私たちを用いようとしてくださっているんだ。これはかけがえのない恵みなんだよ。」

その先生はそのように教えてくれました。私はそれまで自分にとって神様は必要だということは思っていましたが、神様が自分を必要としてくださっているなんてことは考えもしませんでした。

そんな中、先生の言葉は心に残りましたし、嬉しいなと思いました。

本日の箇所には、次のように記されています。

「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。」

本日の箇所には、天地万物をお造りになった神は、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要はないんだということが記されています。本来、神様はそのように私たちの手が必要なわけではないのです。しかし、それにも関わらず、あえて私たちを必要としてくださっているのです。そして、私たちの働きを引き上げ、私たちを用いて、神様の栄光を表そうとしてくださるのです。本日の御言葉を読みながら、先ほどの先生の言葉を思い出しながら、神様の恵みの取り扱いを思いました。その恵みを噛みしめながら、今日一日、その神様の取り扱いの中、神様に用いられたらと願っています。

(鈴木牧人)

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