本日のローズンゲンの御言葉です。
「あなたたちは喜びのうちに/救いの泉から水を汲む。」イザヤ12:3
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」ヨハネ7:37-38
ヨハネによる福音書4章には、サマリアの女性とイエス様の出会いの記事が記されています。
この女性は、多くの悩みや痛み、孤独を抱えていました。彼女は村の中で孤立し、毎日、他の人が井戸に水を汲みに来る朝方の時間を避けて、わざわざ日中の暑い時間帯に水くみにやって来ていたのです。人目を避けるため、日がかんかんと照り付ける日中の暑い時間帯に水を汲みに来なくてはいけない…。彼女にとって、水汲みの作業は本当にしんどい作業だったでしょうし、そんなしんどい時間にわざわざ水汲みをしている時、彼女は、より孤独感を味わっていたのではないでしょうか。そんなただ中で、彼女はイエス様に出会ったのでした。そして、イエス様の出会いを通して、彼女は変えられたのです。
本日の箇所には、次のように記されています。
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
本日の箇所を読みながら、サマリヤの女性とイエス様の記事を思い起こしました。そして、まさにサマリアの女性は、イエス様とこの御言葉にあるような出会いを経験したんだなということを思いました。この女性は、悩みや痛み、孤独を抱えながら、自分の中に抱えていた心の飢え渇きを、イエス様との出会いを通して満たされたのだと思います。
最近、ある方とこんな話をしました。
「私たちは、時に、心にぽっかりと穴が開いてしまっているように思うことがある。その穴を感じながら、空しさが湧き上がったり、寂しさが湧き上がったり、どうしようもない孤独な思いが湧き上がったりすることがある。そして、時に私たちはその穴を色々なもので埋めようとしている。友人同士の交わりだったり、好きな趣味に打ち込むことだったり、仕事に情熱を傾けることだったり…。でも、それらでは埋められないものを感じ、悶々としてしまうんだ。」
そんな話をしました。その方と色々な話をしながら、私たちの心の穴を本当の意味で埋めることができるのは、やはりイエス様だけなんだということを話し合いました。何度も聞いてきたことのはずですが、近頃、改めて、そのことが心に深く迫ってくるように思います。そんな中、本日の御言葉も心に迫ってきました。イエス様は本日の御言葉を私たち一人一人に今も呼びかけておられるのだと思います。「あなたは、心に満たされないものを感じていませんか。渇いていませんか。もし、そうであるなら、何より、わたしのところに来なさい。そして、わたしにあなたの全ての思いを差し出して、委ねなさい。私があなたを取り扱うんだ。私こそ、あなたの穴を満たすことができるんだ。
あなたが心の穴を感じるような中にあって、あなたを満たし、あなたの内から、生きた水が川となって流れ出るようになるんだ。」
そんなふうに呼びかけてくださっているのだと思うのです。イエス様とのそんな出会いをした人は本当に幸いなのだと思いますし、私たち、信仰者の特権なのだと思います。 (鈴木牧人)