本日のローズンゲンの御言葉です。
「正義を洪水のように/恵みの業を大河のように/尽きることなく流れさせよ。」アモス5:24
「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」2コリント9:10

ずい分昔のことですが、ある時、買物をしていたところ、スーパーの壁に、ポスターが貼ってありました。そのポスターには、明治維新の志士たちの写真があり、その志士たちの下には、それぞれ座右の銘としていた言葉が記されていました。そんな中、一人の志士の座右の銘として、こんな言葉が記されていました。
「仁の力を疑うものは、薪についた大火を茶碗一杯の水で消せなかったといって、“水で火は消さない”と思うようなもの」
この言葉が印象に残ったので、後で調べたところ、孟子が語った言葉だそうでした。改めて、この言葉を読み返しながら、本当にそうだなと思いました。燃え盛っている大きな火に対して、茶碗一杯の水をひっかけたところで、その火が消えることはないかも知れません。しかし、だからと言って、「水で火は消せない」と諦めてしまうのは、余りに性急なのだと思います。そのような大きな火であったとしても、ちゃんとした水があるなら、消し止めることができるのです。そして、それは仁の力も同じだというのです。
本日の御言葉には、次のように記されています。
「正義を洪水のように/恵みの業を大河のように/尽きることなく流れさせよ。」
本日の御言葉を読みながら、「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように」という言葉が心に迫ってきました。そして、思い出したのは、先ほどの孟子の言葉でした。自分なりに一生懸命何かをしようとし、正しいことをしようと思ったり、誰かを思いやって恵みの業をなそうとしても、それが全く意味がないように思えてしまう…。自分はいったい何をしているんだろうかと空しくなる…。

そんなふうに思えてしまうことがあります。しかし、それこそ、「薪についた大火を茶碗一杯の水で消せなかったといって、“水で火は消さない”と思うようなもの」なのかも知れません。私たちにできることは、ほんのわずかなことかも知れませんが、私たちが私たちなりに主に応えようとしている一つ一つの働きは決して無駄ではないのだと思います。そして、私たちが私たちなりに主の御言葉に聞きつつ、従っていこうとしていく時、主がそれらの働きを引き上げ、用いてくださるのだと思うのです。そんな中、私たちの「茶碗一杯の水」のようなささやかな働きさえも、「大河」のような主の恵みの業の一つとしてくださるということがあるのではないでしょうか。そんなことを思いながら、一つ一つ、一歩一歩、御言葉に聞いていきたいと思わされました。             (鈴木牧人)

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