「三時間の暗やみ」
マタイ27章45-50節
東日本大震災から一年後のことです。仮設を訪れた時、仮設に住んでいた人が私にこんなことを言いました。「よく周りの人からこんなことを言われる。『震災から一年経って、落ち着いたでしょ。少し楽になったでしょ。』確かに震災当初に比べたら、少しずつ色々なことが整えられてきている。だけど、根本的な問題は何も解決していない。そんな中、一年前には耐えられたことが、今は耐えられなくなっている。」お話を聞きながら、改めて、私たちには分からない思いがあるんだなと思いました。震災から一年が経ち、確かに以前より、生活は改善されているかも知れません。しかし、まだまだ不便なことには変わりがないですし、先行きの見えない状況も全く変わりありません。そんな生活を一年以上続けている中で、一年前だったら頑張ろうと思えたことが、今は頑張れなくなってしまっている…。それは確かにそうだろうなと思いました。そして、そんなふうに、私たちの歩みにはしんどさが積み重なってくるということがあるんだなと思いました。
本日の箇所は、十字架に架けられたイエス様が最後の時の迎えた場面です。御言葉を読みながら心に残った言葉が、「さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた」(27:45)という言葉でした。イエス様が十字架に架けられた時、全地が真っ暗になってしまいました。しかもそれが三時まで続いたというのです。ここで「全地は暗くなり」と言われているのは、天候のことだけを指しているのではないのだと思います。全世界が暗闇に包まれている…。そのような状況なのではないでしょうか。そんな状況が三時間も続いていたというのです。光が見いだせないような暗やみの世界…。私たちがそんな状況に置かれたとしたら、どうでしょう。一瞬たりとも耐えられないのではないかと思います。そのしんどさが三時間も続く…。しんどさは時間が経つごとにどんどんと積み重なって、のしかかってきたのではないでしょうか。本日の箇所を読みながら、「三時間の暗やみの重さ」を思いました。そして、その状況が続いた後、イエス様が「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれたのです。このことはつながっているのではないかと思います。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」という言葉を私たちはどのように聞くのでしょう。ある方がこんなことを言っていました。「イエス様が神様に対して、『なぜ、わたしをお見捨てになったのですか』と問われた。このことは驚きだけれども本当に励まされる。」十字架の苦しみを受けながら、暗闇の世界の中で、三時間過ごされながら、絞り出すような叫びで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれたイエス様…。この叫びは、何より、私たちに十字架の厳しさ、苦しみ、そして、その十字架にイエス様を向かわせた私たちの罪の深さを訴える言葉です。しかし一方で、このイエス様の叫びによって、私たちは慰められ、励まされるのです。イエス様でさえ、あの十字架の場面において、神様のことが分からなくなりそうになられた…。それほどに心弱っておられた…。そのことが、私たちにとって、慰めとなり、励ましとなるのです。