本日のローズンゲンの御言葉です。

わたしの時はあなたのみ手にあります。詩編31:15

目を覚まし、身を慎んでいましょう。1テサロニケ5:6

本日の箇所には、次のように記されています。

「わたしの時はあなたのみ手にあります。」

この御言葉を読みながら、この詩人はどんな思いでこのように語ったのだろうかと思いました。

詩編31編には、次のように記されています。

「主よ、わたしをあわれんでください。わたしは悩み苦しんでいます。わたしの目は憂いによって衰え、わたしの魂も、からだもまた衰えました。」(31:9)

この御言葉にあるように、この詩人は悩み苦しみのただ中にありました。その悩みのゆえに、すっかり力を失い、衰えてしまっていたのです。また、次のようにも語られています。

「わたしはすべてのあだにそしられる者となり、隣り人には恐れられ、知り人には恐るべき者となりちまたでわたしを見る者は避けて逃げます。」(31:11)

この御言葉にあるように、この詩人の悩み苦しみを周りの人たちは誰も理解してくれませんでしたそれどころか、周りの人たちは、詩人と関わることを避けていたのです。

近隣の人や、知り合いも、詩人を恐れたとあります。

そこには多くの誤解があったりしたのではないでしょうか。

しかし、詩人の本当の思いは、周りの人たちに理解してもらえることもなく、詩人は孤独に苦しんでいたのです。そんな詩人の様子を思う時、詩人は本当にしんどかったろうなと思います。

でも、この状況をどうすることもできませんでした。

そんな状況の中で、詩人は告白するのです。

「わたしの時はあなたのみ手にあります。」

自分ではどうすることもできないようなしんどさの中、詩人は「しかし、主よ、わたしはあなたに信頼して、言います、『あなたはわたしの神である』と」(31:14)と告白し、現在、置かれている状況の全ても主の御手の中にあることを信じ、その主に一切を委ねたのでした。

この詩人の信仰に本当に励まされます。

私たちの歩みには、自分ではどうすることもできない課題に向き合わされることがあります。

昨日の祈祷会でも病床の中にある方々のために、祈祷会の皆さんで祈りました。

現在、闘病中にある方々のことを思う時、私たちの力ではどうすることもできない事柄であることを痛感させられます。

そんな中、私たちにできることは、現在、置かれている状況の全ても主の御手の中にあることを信じ、「わたしの時はあなたのみ手にあります」と主に委ねて祈ることなのだと思わされます。

しかし、そんな私たちの祈りを、主は聞いていてくださいます。

そして、私たちの思いを越えた、主の御計画の中で一つ一つのことを取り扱ってくださるのです。

その主に信頼しつつ、わたしの時はあなたのみ手にあります」と祈っていきたいと思いました。

(鈴木牧人)

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