本日のローズンゲンの御言葉です。

男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。創世記5:2

尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。ローマ12:10

本日の箇所には、次のように記されています。

「尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」

この御言葉はパウロがローマ教会の人々に書き送った言葉ですが、パウロは度々このような言い方をしています。たとえばフィリピ2:3-4では次のように書かれています。

「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」(フィリピ2:3-4)

ここでもパウロは「相手を自分より優れた者と考えなさい」と語っているのです。

ある先生が、このパウロの言葉を受けて、次のようなことを語りました。

「愛とはね、相手を自分よりも優れた者と捕らえることができる能力なんだよ。」

この先生の言葉が今も心に残っています。正直、それまで私は、自分の中で、「愛」ということをそういうイメージで考えたことがありませんでした。そんな中、この先生の言葉から様々な大切なことを教えられました。愛とは、相手のことを重んじ、相手の語る言葉にきちんと耳を傾け、その言葉を尊重し、相手にできうる限り尊敬をもって接していくことが大切なんだなと思わされたのです。

それが、たとえ自分の考えや意見が違ったとしても、その人に対して、そのように接していくことが大切なのだと思います。

昨日、ある先生がこんなことをおっしゃっていました。

「教会には色々な立場の人もいるし、色々な意見を持っている人もいる。それは当然なのだと思う。そして、そのように色々な違う意見をもっていたとしても、そんな私たちがきちんと対話することができるなら、その違いさえも豊かさになるのだと思う。しばしば私たちは相手と意見が違うからと言うことで、問題にふれないようにうやむやにしたり、違う相手に一方的に壁を作ったりしてしまうこともある。でも、それではキリストの教会は建て上げられていかないんだよね。」 お話を聞きながら、「本当だな」と思いました。

改めて、それぞれ色々な立場や意見を持つ私たちがキリストの教会として建て上げられていくためには、「きちんと対話することが大切なんだな」と思いました。

そして、そのように対話する思いの根っこには、相手を敬い、重んじる姿勢が大切なのだと思いますし、そこにこそ、愛に生きる人の姿があるのではないかと思いました。

個人個人の人間関係もそうですが、様々な社会情勢を見ても対話することが難しくなっているように思える状況があります。

そんな中、改めて、目の前の相手との関わり方や対話することの大切さについて考えさせられました。                                                          (鈴木牧人)

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