「和解をさせてくださる神」

ルカ4章16節-30節

ローマ帝国の支配によって抑圧され、苦しむ会衆たちに向けてイエス様は、旧約聖書を引用し、解放の約束を語りました。その救いが「今日あなたがたが耳にしたとき実現した」と語ったのです。ローマ帝国の支配からもう今日にでも、ユダヤ人が救われる。語られた希望に、民衆は大いに喜びました。

しかし喜ぶ会衆にイエス様は列王記17章の話を始めます。この個所はエリヤについてとシリア人ナアマンについて2つの話が出てくるのですが、それぞれ外国人についての救いが語られている個所です。エリヤという人はサレプタのやもめに助けられます。ユダヤ人が外国人に助けられたという話です。シリア人ナアマンも同じです。ナアマンの場合はイスラエルに同じ病気の人がいたのに外国人のナアマンが癒されたということです。イエス様はかつて外国人に神の働きがあったこと強調するのです。

イエス様が語ろうとしたことの一つはユダヤ人に救いが来るということでした。それが今日にでも起こるという希望でした。そしてもう一つは救いはユダヤ人だけではない、すべての民族が救われる、そのことも語ったのです。それは言い換えるなら、ユダヤ人も外国人もみな同じ命であるということです。ユダヤ人、あなたたちはきっと解放される、苦しい状況は終わる、でも、その時には支配していた側にも神の恵み・解放が起こるということを語ったのです。

それはイスラエルが神様によって人間らしい生き方を取り戻せるという約束です。そして同時にいままで対立していた相手も同じように人間としての、人間らしい生き方が取り戻せるという約束です。イスラエルを支配する地域として圧迫するのではなく、同じ命・人間として扱うようになるということです。お互いがお互いの人間性にもう一度気づかされるのだという約束です。それこそが真のイスラエルの解放で、イエス様がなさろうとしたことでした。しかしイスラエルの人々はそれに怒りを表明します。「憎むべき外国人が滅び、自分達だけが救われるはずだ」そのように感じてしまったのです。

お互いが、お互いに人間らしく、生きるようになる、命を大切にしあう。それがイエス様の願いであり、聖書はそれを「和解」と呼ぶのではないでしょうか。争っていた、対立していた者たちが、お互いに、お互いの人間性に気づくということです。救われるのは私の側一方だけではない、私と対立していたあの人にも同じ命として救いがおとずれるのだということを気づかされるのです。だから手を取り合って生きる、それがイエス様が促している和解なのです。

皆さんにとって、和解とはどのような事柄でしょうか。対立していた二人が一緒に生きる。それはとても難しいことのように思えます。神様にこの問題を「どうにかしてください」と祈ります。でもきっと神様によって、それが「どうにかなる」のは私だけが解放される形ではないでしょう、その時きっとその人にも神様の解放が起こるのだと思います。私たちは私が解放されたいという祈だけではなく、あの人にも共にそれが起こりますように。私たちはそのように祈れたらと思うのです。私たちはお互いに解放が起こる、そのことを諦めずに、焦らずに、祈り、そして礼拝をしたいのです。                     平野健治神学生

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