本日のローズンゲンの御言葉です。

「ヤコブの家よ、さあ、われわれは主の光に歩もう。」イザヤ2:5                   「あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。」 1テサロニケ5:5

昨日、福岡教会で、戸上信義牧師の葬送式が行われました。戸上牧師は長年、ブラジルで宣教師として活躍された先生です。私は戸上牧師に大変お世話になってきました。中でも忘れられない経験が、西南の神学部に受験した時のことです。私は西南の神学部に入る前、カメラ部品を作るメーカーで設計の仕事をしていました。 私はその仕事を辞めて神学部に入ることにしたのですが、ちょうどこの時期に有給休暇をもらって、西南の神学部を受験しました。しかし、いざ神学部にやって来て、受験をしたところ、突然、心の中に色々な不安の思いが湧き上がってきたのです。それまでも散々考え、祈ってきたはずでした。しかし、いざそれが現実味を帯びてきた時、突然怖くなってしまったのです。自分は本当に牧師なんかできるんだろうか…。そもそも神学部の学びについていけるんだろうか…。西南に入って、本当にいいんだろうか…。そんな思いが湧き上がってきて、不安で仕方なくなってしまいました。    そして、そういう思いというのは、次から次へと湧き上がってきて、やがて、生活のこまごましたことまで心配になってきました。税金や健康保険のお金なんかをどうすればいいんだろうか…。そんな思いも湧き上がってきました。そして、ついに、神学部を受験したその日に、「今ならまだ間にあうから、神学部に入るのを辞めよう」と思ったのです。そんな思いを悶々と抱えながら、次の日福岡の教会の礼拝に出席しました。そして、その日の夕方に姪浜教会で行なわれた福岡地方連合の音楽委員会の集会に出席しました。ちょうどそこに、当時、常盤台教会の牧師だった戸上信義先生がメッセンジャーとして話しをしておられました。戸上牧師は開口一番こんなことをおっしゃいました。「私は牧師になって40年以上経つが、牧師になって本当に良かったと思っている。」  戸上牧師が何でいきなり、そんな話をされたのかは分かりませんが、その言葉が私の心に迫ってきました。そして、その言葉を聞いた時、私の中にあった不安やモヤモヤした思いが一気にスーッと落ち着いてきました。私の中では不安で一杯の自分に神様が「大丈夫だよ」と語りかけてくださっているように思えたのです。その言葉に励まされ、私は改めて「神学部に入ろう」と思いを定めることができました。 私が牧師として今あるのは、あの時の戸上牧師の言葉のおかげだと思っています。

本日の箇所には、次のように記されています。「ヤコブの家よ、さあ、われわれは主の光に歩もう。」 本日の箇所を読みながら、色々なことを思いました。何というのでしょう。私たちは時々に心迷うことがあります。心が主の光とは違う方向に引きずられてしまいそうになることもあるかも知れません。神学部を受験した時の私などもそうだったのではないでしょうか。そんな中、「牧師になって良かった」という戸上先生の言葉は、私にとっては「さあ、われわれは主の光に歩もう」という呼びかけと重なってくるように思うのです。私たちはそんなふうに迷ったり、道をそれそうになったりすることがありますが、「さあ、われわれは主の光に歩もう」という呼びかけに励まされながら、主の道を歩んでいくことができたらと思います。                         (鈴木牧人)

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