本日のローズンゲンの御言葉です。

娘なるわが民の破滅のゆえに/わたしは打ち砕かれ、嘆き、恐怖に襲われる。ギレアドに乳香がないというのか/そこには医者がいないのか。なぜ、娘なるわが民の傷はいえないのか。エレ8:21,22

医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、

罪人を招いて悔い改めさせるためである。ルカ5:31,32

本日の御言葉には、次のように記されています。

「娘なるわが民の破滅のゆえに/わたしは打ち砕かれ、嘆き、恐怖に襲われる。ギレアドに乳香がないというのか/そこには医者がいないのか。なぜ、娘なるわが民の傷はいえないのか。」

この御言葉を読みながら、「なぜ、娘なるわが民の傷はいえないのか。」という言葉が心に留まりました。

私たちが受ける傷には、様々なものがあります。身体に受ける傷もあります。しかし、身体に刻まれる傷だけでなく、目には見えませんが、心の中に刻まれる傷というものもあるのだと思います。

お互いの関係の間に生じる傷というものもあるのではないでしょうか。そして、時に、身体に受ける傷よりも、心の傷や、関係の傷のように、目に見えない傷のほうが、いえるのが難しかったりすることがあるのではないでしょうか。時間がかかることもありますし、突き詰めて言えば、人がどんなに努力しても、いえることがない…。そんなこともあるのではないかと思うのです。しかし、そのような傷さえも、主は取り扱ってくださるのだと思います。私たちが現在読み合わせている佐々木和之さんが書いてくださった『世の光』の文章にこんなものが書かれています。

「アフリカ福音エンタープライズ(AEE)は、九年間に亘って牧師・神父・信徒リーダーを対象に『癒しと和解のミニストリー』を展開してきました。この働きは、これらの教会リーダーたちを含め『すべてのルワンダ人が傷ついている』、『傷ついている人々が和解へと歩み出すためには、まず彼らが癒されなければならない』、そして、『癒しの力の源はキリストの十字架にある』との理解に基づいて進められてきました。このミニストリーの柱は、三日間の特別修養会です。~私が参加した修養会ではまずフツ族の男性が立ち上がり、大量虐殺当時あらゆる虐殺行為がフツ系住民によってツチの隣人たちに対してなされたこと、しかし、それにもかかわらず自分が傍観者に甘んじてしまったことを涙ながらに告白しました。すると、泣き崩れていた彼をツチであるAEEのワーカーが抱きかかえ、彼の癒しと救いのために祈りました。その後、数人のフツの参加者による告白と謝罪がなされ、しばらくして虐殺生存者であるツチの女性が立ち上がりました。彼女は、自分がすべてのフツを憎み、殺人者呼ばわりしてきたことをフツの参加者に謝罪しました。またツチの男性は、多くのフツ系住民が報復として現政権の兵士によって殺されたことに触れ、『自分はフツの人びとの苦難を知っている』と語りました。ほとんどの参加者にとって、この相互謝罪の経験は衝撃的な出来事でした。『敵』側の人間で、自分たちの苦難に理解を示す者など存在するはずがないと思っていたからです。しかし、今や両者の間の『隔ての壁』が崩れ始めたのです。キリストが『十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされ』たこと(エフェソ2:16)を想起するようにとの招きによって修養会は終わりました。」                                      (『世の光』日本バプテスト女性連合PP.37-38)

佐々木さんの証を読みながら、主イエスは、私たちはどうすることもできないような痛みや傷さえも取り扱ってくださる…。そのことを改めて教えられました。私たちの周りには、今も様々な痛みや傷があります。世界の情勢を見ても、私たちの身近な状況の中にも、「なぜ、この傷はいえないのか」と心痛める状況があったりします。しかし、そのような中にあって、主イエス・キリストの十字架を共に見上げていきたいと思います。

そして、その十字架の取り扱いが起こされることを祈っていきたいと思うのです。

(鈴木牧人)

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