成長感謝礼拝「新しい祝福の業」

マタイ9:17

「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」(マタイ9:17)

本日の個所で、イエス様はぶどう酒の話をなさいました。「ぶどう酒」は、聖書の中でしばしば喜びや祝福の象徴として挙げられています。イエス様は、本日の箇所で、そのような「ぶどう酒」についてのお話をなさいました。ただし、ここでイエス様は、本当はまだぶどう酒にはなっていない「新しいぶどう酒」についてのお話をされました。当時のイスラエルでは、発酵する前のぶどう酒を、革袋に詰めてそのまま移動していたそうです。移動している間に発酵が進み、発酵する前のぶどう汁は成熟したぶどう酒になっていったのです。イエス様はそのようなぶどう酒のたとえをお話になって、新しいぶどう酒には新しい革袋が必要だと言われたのでした。古い革袋は革が固くなっているので、ぶどう酒の発酵過程に耐えられません。ぶどう酒が発酵する過程で、どんどん膨らんでいく内に、革袋が破れてしまうのです。ですから、新しいぶどう酒のためには、新しい革袋が必要なんだと言われたのです。

私は、イエス様が言われる「新しいぶどう酒」という言葉に、「神様の新しい祝福の業」をイメージします。そして、そのような「神様の新しい祝福の業」には、ぶどう酒がそうであるように、成長の過程があるんだということが言われているように思うのです。ぶどう酒というのは、最初からぶどう酒としてできあがっているわけではありません。その過程では様々な段階を通らされていきます。不安定に形を変えたり、いびつな形になったり、「これ本当に大丈夫なんだろうか」と思うような様子を見せられたり、そういう様々な過程を通して、成熟したぶどう酒となっていくのです。「神様の新しい祝福の業」も同じなのではないでしょうか。最初からそれはできあがっているものではなく、色々な過程を通りながら、整えられ、取り扱われながら、成熟していくのだと思うのです。いずれにしましても、神様が私たちに新しい祝福を起こされようとしている時、それは最初から祝福だと分かるような形ではないのだと思います。イエス様は、ある時は、神の国の祝福を「からし種」に例えられましたし、本日の箇所ではまだぶどう酒にはなっていない「新しいぶどう酒」に例えられました。「からし種」は普通の人から見れば「ちっぽけで価値がないように思えるもの」です。そして「新しいぶどう酒」は、その都度膨れあがったり、形を変える「厄介なしろもの」です。とても祝福には思えません。でも、その中に神の祝福を信じて、信仰でもって育んでいきなさいと呼びかけられているのです。そこには祈りが必要ですし、御言葉を通し、イエス様を見上げる信仰に励まされ、慰めを受ける信仰なくしては関われないこともあるのだと思います。しかし、私たちは「今、この場所にキリストは生きて働いておられる」ということを信じ、ここから神様の祝福を起こしてくださると信じ、一切を神様の取り扱いに委ね、私たちが託された神様からの務めに仕えていくのです。

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