本日のローズンゲンの御言葉です。

「人を侮るように神を侮っているが/神に追及されてもよいのか。」ヨブ13:9

「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。」ヘブ4:12

2011年3月11日の東日本大震災の後、ある方がこんなことをおっしゃっていました。「このような震災にあって、かつてのように聖書が読めなくなった」。別の方は、こんなふうにおっしゃっていました。「このような震災の状況で、今まで以上に聖書の御言葉が迫ってくる」。この両方の思いが私にはよく分かります。当時、私は福島に住んでいましたが、震災の切実な状況に向き合わされながら、信仰のことだったり、聖書のことだったり、分からなくなりそうなことがたくさんありました。しかし、一方では、これまで以上に御言葉が迫り、御言葉が今の私たちに語りかけられていると感じることがたくさんあったのです。その一つが東京電力福島第一原子力発電所の事故でした。原発事故にまつわる色々な様子を見ながら、私は事故のありさまに、創世記3章に記されている人類最初の罪の記述が迫ってきました。聖書には、神様が最初の人アダムをエデンの園に住まわせ、そこに一つの戒めを与えたことが記されています。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(創世記2:16-17)。こうして、人はエデンの園の中央にある善悪の知識の木から取って食べることを禁じられました。しかし、人はその木の実を取って食べてしまいます。それは、人が蛇に誘惑されたからでした。蛇はエバを巧みな言葉で誘惑します。その中で語ったのが、善悪の木の実を取って食べても「決して死ぬことはない」(3:4)ということでした。エバは根拠もない蛇の言葉をそのまま鵜呑みにしてしまいます。そして「これを食べても安全だ」と信じ込んでしまった時、目の前の果実は「いかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた」(3:6)のです。そうなってしまったエバを止めることはできませんでした。エバは手を出してはならなかったはずの禁断の実に手を出してしまったのです。ある方が、原発の安全への信頼度は、ほとんど「偶像信仰」のような域だとおっしゃっていました。今回の事故を受けて、周辺に住んでいた人たちや自治体の方々は皆、口をそろえて、「原発は安全だと聞かされてきた」と話していました。加えて、原発の安全を管理している保安院や東電関係者までもが「これまで自分たちは、原発が安全だと信じてきた」と発言していました。そのように、原発に関しては、ほとんどきちんとした情報も提供されることもないまま、確かな根拠もないのに、安全という言葉だけが、繰り返し、語られ続けてきました。そして、多くの人々はその言葉を信じるしかありませんでしたし、信じきってきたのです。そして、「安全」という言葉ばかりが一人歩きをしていく中で、多くの人々が原発を容認し、推進していきました。その姿というのは、誘惑の言葉に惑わされるエバの姿そのままに思えます。人々が、原発は安全だと信じ込んでしまった時、原発はいかにも魅力的に見えたのです。原発は儲かる…。地域を豊かにする…。さらに原発は温暖化防止の切り札のようにさえ思える…。そんな思いの中で、もはや人々が原発に突き進むのを止めることはできなくなってしまいました。しかし、その結果、どうなったのでしょう。善悪の知識の木の実を食べたアダムとエバは取り返しのつかない状況になってしまいました。しかも、彼らだけの問題だけではなく、神様は「お前のゆえに、土は呪われるものとなった」(3:17)と言われたのでした。この言葉が、今、私たちに突きつけられています。原発事故の後、多くの人が「人類が経験したことのない未曽有の事故だ」と語っていました。しかし、創世記の記述と照らし合わせながら、この事故のありさまをみていく時、私にはこの事故が「私たち人間が最初の歴史から繰り返し犯してきた罪の縮図」に思えて仕方ありませんでした。そんな中、この事故を通して、改めて、聖書の御言葉が迫ってきました。本日の箇所には、次のように記されています。「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。」 本日の御言葉を読みながら「神の言葉は生きており」という言葉が心に迫ってきました。聖書の御言葉は、大昔に書かれた、遠い場所のことを語っているのです。今、世界に生きている私たち一人一人に呼びかけられている言葉なのです。私たちは今こそ、もっともっと耳を澄まして、御言葉に聞いていく必要があるのだと思います。その時、私たちは、この聖書の御言葉から、問いかけられ、時に心を刺し貫かれるような思いを通らされながらも、私たちが本当に歩むべき真実の歩みを指し示されていくのだと思います。その御言葉に共に聞いていきましょう。(鈴木牧人)

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