本日のローズンゲンの御言葉です。

「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。

ただ、あなたに対する主の愛のゆえに選ばれたのである。」申命記7:7-8

「神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。」1コリント1:28-29

お正月の三箇日も終わり、本日からいよいよ、お仕事が始まる方も多いのではないでしょうか。年末年始、いかがお過ごしでしょう。色々なことがあったのではないかと思いますが、私たちにとって、この年末年始の時期は、普段の日常生活を立ち止まり、色々なことを振り返る機会になったりするかも知れません。今回の年末年始も色々な人と会い、色々な話をしました。先日、ある方がこんなことを言っていました。

「昨年一年間、振り返ってみて、色々なことを思う。自分なりに頑張ってきたんだけどね。中々、自分がこうしたいと願っていたことができない。せっかく神様に仕えたいと心から願っていたのに。そんな自分がかっこわるく思えてしかたない。」

私はその方が一生懸命してきた様子を知っているので、「そんなことないですよ」と言いました。ただ、それに付け加えて、このように言いました。

「でも、神様にかっこよく仕えようとすることはあきらめた方がいいかも知れないですね。私たちは突き詰めて言えば、かっこよく神様に仕えることなんてできないんだと思いますよ。かっこうよくあろうとすると、嘘が出てきたり、無理が出てきてしまうんじゃないでしょうか。弱さや足りなさばかりの私たちをそれでも神様が選んでくださって、立ててくださる…。そのことを心に刻みながら、恵みを噛み締め、神様に自分のできることをしていくということが大事なんだと思います。」

すると、その方は、私の言葉にじっと耳を傾けていた後、「そうですね」とおっしゃっていました。私はその方との対話でそんなふうに言ったわけですが、私が語った言葉というのは、そのまま自分自身に問われている言葉でもあるなと思います。私もついつい「神様にかっこよく仕えようとしていること」があるように思うのです。そんな自分が根深いところにいて、その都度、できない自分にがっかりしていたりするように思うのです。そんな中、神様から事あるごとに「そうじゃないんだよ」と言われているように思うのです。弱さや足りなさばかりの私たちをとっくにご存じで、それでも神様は私たち一人ひとりを選んでくださって、立ててくださっている…。その恵みを土台として、神様に自分のできることをしていく…。その信仰にしっかりと立っていきたいと思うのです。

本日の箇所には、次のように記されています。

「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに選ばれたのである。」

ここには、神様がイスラエルの民を神の民として選んだ理由が記されています。それは彼らが数多かったからでも、立派だったからでもありませんでした。むしろ、彼らが他のどの民よりも貧弱で、弱々しかったのです。神様は、そんな弱さや足りなさばかりのイスラエルの民を選び、神の民として立ててくださったのです。本日の御言葉を読みながら、このメッセージがそのまま先日の話に重なってくるように思いました。そんな中、改めて、新しい年をこの神様を見上げて歩んでいきたいと思わされました。

(鈴木牧人)

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