本日のローズンゲンの御言葉です。

彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。イザヤ53:4

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。2コリント5:21

本日の箇所には、次のように記されています。

「彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。」

この御言葉は、「主のしもべの歌」と呼ばれる箇所の一節です。

ここで「彼」と呼ばれている「主のしもべ」こそ、まさにイエス・キリストの姿で、本日の御言葉には、「主のしもべ」イエス・キリストが、十字架で歩まれた受難の様子が表されているのです。

大変有名な御言葉で、これまで何度も読み返してきた御言葉ですが、改めて、本日、この御言葉を読みながら、「わたしたちは思っていた」という言葉が心に留まりました。

イエス様は、私たちの病を担い、私たちの痛みを代わりに引き受けてくださいました。

しかし、人々は思っていたというのです。

「あれは、あいつが悪いから、こんなことになっているんだ。」

「あいつが神様に罰を受けているんだ。」

そんなふうに人々は、自分たちが正しい、間違っているのはイエスだと決めつけ、自分たちの勝手な思い込みやストーリーで、イエス様についてあれこれ思っていたというのです。

本日の「わたしたちは思っていた」という言葉を読み返しながら、私たちはどうだろうかと思わされました。私たちは、ここで言われている人々のような私たちはいないでしょうか。

目の前の出来事について、自分たちの勝手な思い込みやストーリーの中で、あれこれ思っているというようなことはないでしょうか。

本日の御言葉を読みながら、そのことが問われているように思いました。

そして、改めて、私たちは常に、自分自身を含めた一人一人が、互いに誰もが「誤り得る存在であること」をきちっとわきまえないといけないなということを思いました。

そんな中、一つ一つのことを砕かれた耳でもって御言葉に聞こうとし続けていく…。

そのような歩みが大切なのだということを思わされました。

慌ただしい状況、心騒ぐ状況こそ、そのような歩みを大切にしていきたいと思います。                         (鈴木牧人)

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