本日のローズンゲンの御言葉です。
彼らは安らかに住み、彼らを恐れさせるものはない。エゼキエル34:28
それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。ヘブライ4:9
明日(2月9日)、午後一時から村田慶子姉の告別式が行われます。今回、ご家族の要望で、前夜式は行われず、告別式だけを行なうことになりました。そのため、告別式に来られない方のために、本日(2月8日)午後7-9時の間、自由に教会に来て、村田慶子姉にお別れができるよう、教会の礼拝堂を開放しようと考えています。どうぞ、どなたでもいらしてください。
私は昨日まで理事会に出席していたのですが、理事会中も電話やLINE等で告別式のプログラムについての調整をしていました。告別式の讃美だったり、スピーチを話していただく方等、あらかた決まりつつあった頃、ご家族の方からこんな連絡がありました。
「実は母の部屋を整理してきたら、自分の告別式のプログラム案が出て来たんです。」
そこには告別式でどういう讃美を歌ってほしいか、誰にスピーチをしてほしいかということが書かれていました。
そこで急遽、村田姉の意向に沿って、告別式を行なうよう、プログラムを変えることになりました。そんなやり取りをしながら、改めて、村田姉が生前、葬儀のことまで色々と考えておられたんだなぁと思いました。
晩年の村田姉は、本当に信仰を支えに生きておられた方でした。
神様を見上げ、神様を頼りに歩んでいかれた姿が本当に印象的でした。
そんな中、その神様に捕らえられるように神様のもとに召されたのだと思います。
本日の御言葉には、次のように記されています。
「それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。」
今回、村田慶子姉がなくなった直接の理由は、誤嚥性肺炎でした。
肺炎になられた後、何度かお見舞いに行きましたが、すでに意識を失う中、酸素マスクをしながら、呼吸をしていました。正直、苦しかったのではないかと思います。
しかし、本日の御言葉を読みながら「今、村田姉は神様の安息に与ることができているんだな」ということを思いました。
私たちはこの世で様々な困難があるかも知れません。
しかし、やがて共に神様の御許で安息に与ることが許されているのです。
そのことの希望を改めて、見上げていきたいと思うのです。
(鈴木牧人)
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