本日のローズンゲンの御言葉です。
「もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」ヨシュア24:15
「こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。」1コリント4:1

現在、次年度の教会学校の奉仕者の担当を話し合っています。昨日も色々な方と、次年度の奉仕者担当について話し合いました。そんな中、ひとりの姉妹にこんな話をしました。
「次年度の教会学校の奉仕担当をどのように考えていますか。教会学校の奉仕担当で、色々な担当を決めていて、それぞれの皆さんにこういう役割をお願いしたいと思うことがあるのですが、その前にぜひ本人の意思を確認したいと思いました。率直なところ、どうですか?」
すると、その姉妹は今置かれている現状や、自分の色々な思いを率直に話してくださいました。
それを聞きながら、私が「じゃあ、具体的な要望として何かありますか。」とお聞きしました。
すると、その姉妹は「そうですねぇ」としばらく考えこんでおられました。その様子を見ながら、「姉妹にはきっと色々な思いがあるんだろうな」と思いながら、姉妹が何と答えるのかを待っていました。
その姉妹はしばらく考えこんでいたのですが、ある時、表情がパッと明るくなると、こんなふうに言いました。「正直、色々な思いがあって、どうすればいいのかということを考えると悩んでしまいます。
でも、私の一番の願いは何かと言えば、願いは教会にとって一番必要とされるところで奉仕したいということです。」
そのような話を受けて、教会学校の全体を考え、改めて、担当をお願いすることになりました。
その姉妹とお話ししながら、その姉妹が悩んでいる姿、そして、顔がパッと明るくなった姿が印象的でした。きっとあの瞬間、姉妹の顔を明るくしたのは、姉妹の信仰なんだろうなと思いました。色々自分の思いが湧き上がる中で、自分が何を一番望んでいるんだろうかと思う時、「そうだ!自分が一番望んでいるのは、神様が私に一番願っていることに応えることなんだ」と思い直されていく…。その信仰が姉妹の顔を明るくさせたのではないかと思うのです。
本日の御言葉には、次のように記されています。
「もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、
自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」
この御言葉は、ヨシュアがイスラエルの人々に呼びかけた言葉です。ヨシュアはイスラエルの人々に自分たちがどんな神に仕えたいのか、自分で選びなさいと呼びかけました。そんな中、人々は色々な思いにさせられたかも知れないと思います。しかし、そのような思いを通りながら、最終的に「わたしは主に仕えます」と選び取った時、人々の顔はパッと明るくなったのではないでしょうか。私たちもそんなふうに信仰を問われる瞬間というのがあるのだと思います。現状の色々な状況があって、色々な思いが通らされる…。そんな中、信仰の思いが定まっていく時、私たちの歩みが定まっていくということがあるのではないでしょうか。昨日の姉妹の顔を思いだしながら、そんなことを考えさせられました。                                             (鈴木牧人)

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