本日のローズンゲンの御言葉です。
苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように  イザ53:7
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 ヨハ12:24

明日、3月11日は、東日本大震災を覚えての礼拝を執り行います。明日の礼拝では、西南学院大学のボランティアチームの皆さんをお迎えして、被災地支援の報告などもしていただきます。昨日、礼拝のための準備として、礼拝で灯すロウソクを礼拝堂に置きました。
このロウソクは、教会で使った使用済みのロウソクを再利用したものです。
復興の灯のイメージとして、東北六県をかたどった台の上に置いて、このロウソクに火を灯します。昨日は、その台とロウソクを置いて、写真を撮り、FacebookとInstagramに投稿しました。
すると、お二人の方からコメントをいただきました。一人はSさんという方です。この方は、私が福島で出会った方です。震災時、いわきに住んでおられたのですが、津波被災に遭い、郡山で生活されるようになりました。私が「3月11日、東日本大震災から7年が経ちます。 日曜日、祈りつつ、礼拝を献げたいと思います。」と書き込みをしたところ、Sさんから「是非お願いします」とのコメントをいただきました。
もう一人は、Tさんという方です。この方は、現在、郡山コスモス通り教会の役員をしておられます。Tさんから「私たちも、震災追悼礼拝をお献げします。全国のみなさんと同じ思いで、祈りを合わせられたらいいですね」とコメントをいただきました。お二人のコメントを読みながら、こんなふうに返信していただき、嬉しいなと思いました。同時に、震災を覚え東北のみなさんと、このような形でつながっていくことの大切さを改めて実感しました。
本日の箇所には、次のように記されています。
「苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように」
私は福島第一原発事故が発生した際、事故で吹き飛んだ鉄骨がむき出しになってしまっている原発建屋をテレビで見ながら、その様子が主の十字架に重なって見えることがしばしばありました。十字架とは、本来、私たちにとって見たくないものが見せられる場所であり、逃げ出したいし、そこに居たくもないものなのだと思います。しかし、私たちはそれと向き合う時、そこには救いの道があるのです。今なお、原発事故の只中で、格闘している人がいます。大変危険な環境の中、作業に従事されている方がいて、避難所でしんどい生活を余儀なくされている方がいます。そのために様々なことを犠牲にして奉仕をされている方がいます。私はその方々のことを思う時、その只中に主の十字架の御苦しみがあることを痛感するのです。
私は、その方々の思いに連なり、共に歩もうとしていく時、そこから聞こえてくる神の国の福音があるのではないかと思います。そんなことを思いながら、ぜひ、明日の礼拝、Tさんがおっしゃるように、「全国のみなさんと同じ思いで、祈りを合わせられたら」と思いました。
(鈴木牧人)

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