本日のローズンゲンの御言葉です。
「彼がわたしに語り始めたとき、霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。わたしは語りかける者に耳を傾けた。」エゼキエル2:2
「女が言った。『わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。』イエスは言われた。『それは、あなたと話をしているこのわたしである。』」ヨハネ4:25-26
先月、福島の郡山コスモス通り教会の礼拝に出席しました。およそ五年ぶりの礼拝出席で懐かしさで一杯でした。礼拝はおおよそ私が郡山にいた時と変わらなかったのですが、一点、新しいプログラムが加わっていました。それは「教会の信仰告白朗読」というプログラムでした。郡山コスモス通り教会の信仰告白をブックレットにして、毎週の礼拝で一項目ずつ、皆さんで朗読していたのです。その様子に本当に嬉しいなと思いました。郡山コスモス通り教会は、2008年に教会組織をしたのですが、教会組織をするにあたって、一番時間をかけたのが教会の信仰告白作成でした。計3年かかって作成したのですが、「聖書について」「神様について」「イエス・キリストについて」など、信仰のテーマを一つ一つ話し合ってきました。主に日曜日の教会学校の時間を用いて話し合ったのですが、何より大変だったのは、その準備の時間でした。教会学校の時間によりよい話し合いができるようにと、土曜日の夜に教会学校の教師たちが集まって、話し合いを行ないました。その話し合いは深夜までかかることもあり、夜遅くまで話し合った後、翌朝また教会学校で話し合うということも度々ありました。今思い出しても大変だったなと思うのですが、郡山の皆さんは「かけがえない思い出です」と言ってくれます。現在、神奈川におられるO牧師もその時の教会学校の教師だったのですが、「郡山コスモス通り教会の教会生活の中で一番思い出に残っている経験です」と話してくださいました。何より信仰告白作成を通して、皆さんと自分たちの立っている信仰について確認できたことは、かけがえのない経験だったのだと思います。その信仰告白作成の中で特に思い出に残っているのが、「聖霊」についてです。「聖書」についてだったり、「イエス・キリスト」については皆さん、初めから色々な意見が出されたのですが、「聖霊」については戸惑っている方もいました。中には「聖霊が何か分かりません」という方や、「霊という言葉自体にどこか抵抗があるんです」という方もいました。その中で分かち合ったことは、「教会の本質は聖霊の働きなんだ」ということでした。「聖霊の働きなくして、教会は語れないし、教会は成り立たない。聖霊を否定するなら、私たちはイエス・キリストを主と告白することもできないし、共にキリストの教会を建てあげることもできない。」そのようなことを分かち合いながら、改めて、聖書に書かれている「聖霊」に関する言葉を読み返しながら、話し合いました。様々な話し合いの結果、紡ぎ出された言葉が以下の文言です。
「【聖霊】聖霊は、目には見えないが、今も生きて働いておられる神である。聖霊は、イエス・キリストについて証をしてくださる弁護者であり、わたしたちの父なる神への執り成し手であり、御国への保証である。聖霊は、わたしたちにイエスは主であると告白させ、教会を建て上げ、愛の実を結ばせてくださる。」
この言葉を読む度にその時のことを思い出します。本日の箇所には、次のように記されています。
「彼がわたしに語り始めたとき、霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。わたしは語りかける者に耳を傾けた。」
ここには「霊」について語られています。この御言葉を読みながら、郡山コスモス通り教会の信仰告白の文言を思い出しました。かつて預言者エゼキエルを通して働かれた神の霊は、今も私たちの内に生きて働き、私たち一人一人を立たせ、私たちにイエス・キリストの真理を教え、私たちの一歩一歩を整えてくださっています。私たちはこの聖霊を通して、イエス・キリストに連なり、共に一つのからだとされ、教会を建てあげていくことができるのです。   ( 鈴木牧人)

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