「イエス・キリストという土台」

Ⅰコリント3章10-11節

 姪浜の辺りは元々、炭鉱の町で地盤が大変不安定でした。その影響で姪浜教会の旧会堂は、建物全体が傾いてしまっていたそうです。このため、現在の建物を建てる時には、地盤対策に相当気を使い、建物の基礎のための杭を何本も入れたと聞いています。そうすることで、現在の建物はだいぶ安定しまして、2005年の福岡県西方沖地震の時も大丈夫でした。そんなふうに、私たちの教会では、62年の教会の歩みの中で、土台をしっかり据えることの大切さを学んできました。建物を建てるという時、建てた後に色々なことが起こるということがあります。地震で揺さぶられることもあるのだと思いますし、かつての姪浜教会のように、とりわけ何かあったわけでもないのに、建物が傾いてしまうということがあるかも知れません。そんなふうに建物を建てた後、色々なことがあって、建物がおかしくなってしまうということがあります。そんな中、大切なことは土台なのだと思います。本日の箇所でパウロはそのような土台を「熟練した建築家のように据えた」んだと語りました。コリント教会は、パウロが建てあげた教会でした。しかし、パウロはコリント教会を建てあげた後、他の場所の福音宣教するためにコリント教会を離れてしまいます。すると、そこに様々な人たちがやってきました。その一人がアポロでした。コリント教会の人々は、その様々な人たちとの出会いに刺激を受けたり、学んでいったりしたのですが、それが必ずしも良い方向に向かったわけではありませんでした。たとえば、アポロのメッセージに心惹かれた人たちの中には「わたしはアポロにつく」と言った人たちが現れ、分裂騒動になっていました。そのような状況の時、私たちだったらどうするでしょう。「アポロの言うことなんか聞くな」と言いたくなってしまうかも知れません。しかし、パウロはそんなふうに頭ごなしに否定はしませんでした。アポロについても、「わたしは植え、アポロは水を注いだ」(3:6)と、アポロの働きを評価しています。それより、コリント教会の人たちに語りかけているのは、「あなたたちには据えられた土台があるんだ。その土台を見失ってはいけない」ということでした。
コリント教会の人たちのように、私たちも様々な出会いを経験することがあります。その出会いに戸惑ったり、心揺れてしまうことがあるかも知れません。しかし、自分とは違うものを「これは違う」「そんな言葉聞いてはいけない」と頭ごなしに拒絶したり、壁を作ってしまわないようにしていきたいと思いますし、できる限り、それらの出会いを、私たちにとっての喜びや豊かさにしていくことができたらと思います。そのために、本日の箇所のメッセージを心に覚えていたいと思います。私たちは時に色々な出会いを経験することがあるかも知れませんし、私たちと違う考えや価値観の人に出会うことがあるかも知れません。しかし、その中で、私たちが立つべき土台がしっかりとしているなら、私たちがどこに立っているかが明確であるなら、様々な新しい出会いの中で揺さぶられることがあっても、肝心な部分では揺さぶられない…。その新しい出会いを喜びや豊かさにしていくことができるのではないかと思うのです。

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