本日のローズンゲンの御言葉です。
どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。わたしはここにおります。
サムエル記下15:26口語

ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。ヨハネ21:15
昨日、今年度の九州バプテスト神学校の講義が始まりました。私は今年度も牧会学を担当することになりました。牧会学では、現在、トゥルナイゼンという神学者の『牧会学』という本を用いて行なっています。
そんな中、この本を読みながら、昨日一緒に話し合ったことは、私たちの信仰と教会についてでした。いわゆる、正統的福音的な信仰と、敬虔主義と言われる人たちが考える個人の信仰と教会の関係は大きく違っているんだということが書かれていました。敬虔主義教会では、あくまで個人が先にあり、個人個人のキリストとの関係が重要で、教会というのは、それに付随する集合体でしかない…。
これに対して、聖書に基づく私たちの信仰は、教会を欠いたところでのキリストの前の個人など存在しない…。私たちが個人を語るのは、あくまで教会に連なる一人一人としての個人であって、キリストの肢体としての個人であり、教会はそれに付随するようなものではないんだということが話しあわれました。それゆえ、私たちは私たちの信仰を考える時、教会という土台を抜きにしては語れないのです。
そのことは、本日の御言葉からも知ることができます。
本日の御言葉には、次のように書かれています。
「ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの小羊を飼いなさい』と言われた。」
ここには、イエス様とペトロとの会話が記されています。この時、イエス様は、ペトロに対して「私を愛するか」と尋ねられました。これに対して、ペトロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えました。すると、イエス様はすぐに「わたしの小羊を飼いなさい」と言われたのです。ここでは、「イエス様を愛すること」と「イエス様の子羊を飼うこと」つまり、「教会の一人一人を導くこと」が繋げられて語られています。
このように、イエス様は、私たちがイエス様の愛に応えて生きようとするなら、それはキリストの教会に繋がっていくことと切り離して考えることはできないんだと言われたのです。
このように、私たちの信仰とは、私たちとイエス様の個人的な関係で完結し、教会はそれに付随するものではなく、あくまで教会を土台にした信仰です。
本日の御言葉から、改めて、そのことを教えられるように思いました。(鈴木牧人)

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