本日のローズンゲンの御言葉です。
ヨセフはこうして、監獄にいた。しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれた   創世記39:20,21
光は暗闇の中で輝いている。  ヨハネ1:5
先日、K牧師、T牧師に会いに出かけてきました。現在、お二人はそれぞれ別々の病院で病気療養をしておられます。K牧師は抗がん治療をしているのですが、現在、六回目だそうです。
抗がん治療は数を追うごとに大変になっているそうですが、それでも表情はいつもと変わらない様子でした。お話をお伺いして印象的だったのは、こんなお話でした。
「ぼくはね。今、病院で出される食事を一度も残さないで食べているんだ。入院したての頃は、絶食状態が続いて、40日以上何も食べられなかったからね。だから、今、食べるのが嬉しいし、美味しいんだよ。それに、この病院の配慮もとっても嬉しい。ぼくが玉ねぎや長ねぎが食べれないと言うと、食事から玉ねぎや長ねぎをきちんと除いてくれる。前にドライカレーの献立の時があって、その時に『さすがに今日は別メニューかなぁ』と思っていたことがあった。そうしたら、玉ねぎ抜きのドライカレーを持ってきてくださった。おそらく玉ねぎが食べれない人なんて少ないと思うから、ぼくのためにわざわざ作ってくれたんじゃないかな。それが嬉しくって、『残しちゃいけない』と思ったんだよね。」
そんなふうに食事が美味しい、美味しいと言っている様子が印象的でした。
しかし、後から聞くと、実は今、抗がん治療の影響で、舌の感覚が麻痺して味が分からなくなっているそうです。食べても味がほとんど分かっていないのですが、それでも美味しいと言っておられるのです。これはT牧師から聞いたのですが、K牧師は毎回、以前、美味しいものを食べていた時のイメージを想像しながら、「これはああいう味だったな」と思い、食事をしているそうです。
そうすると、味を感じていないものを美味しく感じることができるのだということでした。
「私にはとてもそんなことできないんだけどね。」T牧師は笑いながら、そんなふうに言っていました。
お話を聞きながら、大変な闘病生活の中、それでも一つ一つのことに恵みを見いだし、喜びを見いだしながら、日々を過ごしておられる様子をひしひしと感じました。
そんなK牧師、T牧師の姿に、多くのことを教えられながら、帰ってきました。
本日の箇所には、次のように記されています。
「ヨセフはこうして、監獄にいた。しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれた」
本日の箇所を読みながら、色々なことを思わされました。監獄での生活は、しんどいこと、辛いことがたくさんあったのではないかと思います。しかし、そのような状況の中にあっても、今のこの状況の中に、主が共にいてくださっていること、主の恵みが与えてくださっていることを覚えながら、ヨセフは日々を過ごしていたのだろうなと思いました。そんなことを思いながら、そのヨセフの信仰と、K牧師、T牧師の信仰が重なってくるように思いました。私たちの歩みにも色々なことがあります。
そんな中、順風な時も、そうでない時も、変わらずに私たちと共にいて、私たちに恵みを施してくださっている主を覚えながら、その主を見上げて歩んでいけたらと思わされました。(鈴木牧人)

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