「この世への聖別」
Ⅰコリント5:9-13
コリントという町は、昔から風紀が乱れたところで、「コリント式に生きる」と言えば、不道徳に生きることの代名詞でした。コリント教会はそのようなところに建てられた教会でした。コリント教会の人たちはその環境に少なからず影響されていたのだと思います。そんな中、コリント教会の人たちは、いつも「この町の人たちとどう関わっていけばいいのだろう」ということが問われていたのではないでしょうか。時に目を覆いたくなるような町の人たちの有り様に、「もうこんな人たちと関わりたくない」と思ったり、「いっそのこと心を閉ざして関わることをやめてしまったほうが楽だ」と思うこともあったのではないかと思うのです。ただ一方で別の立場の人たちもいたのだと思います。「いやいやそんなこと言わないで、町の人たちとちゃんと関わっていこう。生活するためにも関わらなくちゃいけないよ。」ただ、そのように関わっていく中で、ともすると、コリントの街の風土や価値観にそのまま流されてしまいかねませんでした。何でもありの状況で、周りのコリントの町の人たちとほとんど変わりないような歩みや生き方になってしまうことだってあったのだと思います。そんな中、コリント教会の人たちに問われていたもう一つの問いは、「人々と関わりつつ、いかに自分たちの信仰を大切にしていけばいいのか。貫いていけばいいのか」そのようなことだったのではないかと思うのです。コリント教会の人たちは、コリントの町の中に立つ教会として、そのような葛藤、ジレンマに立たされていたのではないかと思います。そんなコリント教会の人々に対して、ある意味、厳しい迫りと励ましをもって語られているのが、本日のパウロのメッセージなのだと思います。「あなたたちの周りには、色々な人たちがいる。あなたたちと相いれないような生き方だったり、考え方、価値観をもって生きている人たちがいるかも知れない。でもその人たちに壁を作って、つき合いをやめてしまえば、やがて、あなたがたは世の中から出て行かねばならない。それは良くない。あなたたちはその人たちのもとに遣わされているんだ。」そのように語っているのです。しかし、一方で、5:11-13を読みますと、「町の人たちと共に生きていくということは、その人たちと同じ考えや価値観になって生きるということではないんだ」ということをも語っています。「あなたたちはその生き方に流されないように注意しなさい。信仰者としての生き方を模索しなさい。」そのように呼びかけているのです。
パウロの呼びかけを聞きながら、このことというのは、私たちも問われているんじゃないかと思います。私たちのごくごく身近な人たちの中にも、私たちと異なる価値観や生き方でもって生きている人たちがいます。そんな中、私たちがその人たちとどう関わっていけばいいのかということは、私たちにとって問われる課題だったりするのではないでしょうか。時に周りとの関わりを避けて閉鎖的な思いになってしまうことがあるかも知れません。一方では周りに流されてしまいそうになることがあるかも知れません。そんな中、キリスト者としてその場所に遣わされているということがあるのだと思うのです。