本日のローズンゲンの御言葉です。
遠くから主を思い起こし/エルサレムを心に留めよ。エレミヤ51:50
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。エフェソ6:18
本日の箇所には、次のように記されています。
「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」
この御言葉を読みながら、「“霊”に助けられて祈り」という言葉が心に留まりました。
そして、思ったことは、「“霊”に助けられて祈るって、どういうことなんだろう」ということでした。
色々なことを思いながら、一つの場面として思い浮かべたのは、私たちが祈ることさえできない時、そんな自分さえ主の御前に告白しながら、「祈ることさえできない私がいます。どうかそんな私を助けてください」と祈っている場面でした。
実際、そういうことってないでしょうか。
色々な悩み事や煩い事の中、いつの間にか、心が目の前のことで一杯一杯になっていて、祈ることを忘れていたり、祈ろうとしても心が静まることができなかったり、神様に心が定まらなかったり…。
そんなことがあるのではないかと思うのです。
そんな中、そのように祈ることさえできない自分さえも、そのままに主の御前に告白し、「祈れない私を助けてください」と祈ることさえゆるされているんだなと思うのです。
そして、そんなことを思いながら、改めて思ったことは、私たちの主は、私たちの弱さも、迷いやすさも、すでにご存じで、私たちを支え、助け、導いてくださっているんだなということでした。
その主に、私たちはもっともっと素直になって、私たちのありのままを打ち明けていいんだなと思いました。
今日の主の日の礼拝も、そんな主との出会いが与えられたらと思います。(鈴木牧人)