本日のローズンゲンの御言葉です。

わたしの霊はお前たちの中にとどまっている。恐れてはならない。ハガイ2:5

希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。ローマ5:5

この秋、私たちの教会では香住ヶ丘の名誉牧師であられる藤井健児牧師をお迎えしてオープンチャーチを行ないます。私は神学生の頃、香住ヶ丘教会に研修神学生として学ばせていただいたこともあり、藤井牧師には大変お世話になりました。藤井牧師は、視覚障がい者で、その視点から色々なことを教わりました。たとえば、朝、教会に出かけたところ、藤井牧師を見かけたので、「おはようございます」とあいさつした時のことです。

藤井牧師は私に「おはようございます」とにこやかに言いながら、こんなことをおっしゃいました。

「鈴木くん、ぼくは目が見えないから、君が誰か分からないことだってあるし、どこから声をかけているのか分からないこともあるんだよね。できれば、真正面に来て、名前を名乗ってから、あいさつしてくれると、ありがたいんだけどなぁ。」その言葉を聞いて、「本当にそうだなぁ」と教えられました。その他にも視覚障がいを抱えている人との関わりを具体的に色々と教えてもらったことを覚えています。そんな藤井牧師が話してくれたことで忘れられないエピソードがあります。

今から60年以上前、藤井牧師が神学生時代の頃のことです。藤井牧師は、ある神学生と一緒に教会奉仕に出かけていました。奉仕が終わって、電車で帰っていた時、その神学生が駅の階段で突然、こう言いました。「もう電車が出ちゃう。急がなきゃ。駆け足で降りるよ」

それに対して、藤井牧師は「分かった」と答えました。そうして、二人は駅の階段を一段飛びで駆け下り、電車に乗ったということでした。「今、考えると、考えられないことなんだけどね。」

藤井牧師は笑いながらそう言っていました。確かにそうだと思います。目が見えない状態で見知らぬ駅の階段を一段飛びで駆け下りるなんて、本当に危ないことなんだと思うのです。でも、藤井牧師はこうつけ加えていました。「でも、不思議とあんまり不安じゃなかったんだよね。それは、その神学生に本当に信頼していたからだと思う。」その時の藤井牧師の言葉が、心に残っています。本日の箇所には、次のように記されています。

「わたしの霊はお前たちの中にとどまっている。恐れてはならない。」

本日の箇所を読みながら、「恐れてはならない」という言葉が心に留まりました。そして、藤井牧師の言葉が思い出されました。「不思議とあんまり不安じゃなかった。信頼していたからだと思う。」私たちにはそういうことがあるのだと思います。時に先のことが中々見えないような状態であっても、課題や悩みがあっても、信頼しているから、不思議と不安じゃない…。そういうことがあるのではないでしょうか。そして、まさに神様は私たちにそのような信仰に招いてくださっているのだと思います。色々なことがあるかも知れないが、わたしの霊があなたたちの中に共にいるから、心配しなくいいんだよ、恐れなくていいんだよ…。本日の箇所では、そのように呼びかけてくださっているのだと思います。改めて、その主に信頼していきたいと思いました。                   (鈴木牧人)

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