「光の武具を身に着けましょう。」

(ローマ13:12~14)

毎礼拝にける神学生への祈りと神学校週間への祈り、協力を感謝いたします。
「夜は更け、日は近づいた」とあります。米朝会談があり平和条約が結ばれる期待が高まっています。世界に数千発の核兵器があり、また日本には52基ともいわれる原発があります。これだけの原発を抱えた日本は、絶対に戦争の出来ない国ですが、政治はむやみに戦争準備に向かい、安保法制や憲法改悪に舵を切っています。私たちはそれを阻止することが出来ず、あるいはまだ夜が更けていっているのかもしれません。「日は近づいた」とは、世は終末・主の再臨の時に、向かいつつあると言っています。「終末」は、キリスト者だけに示されている時です。私たちは今の時代のこの時にいるけれども、すでにその日、終末・再臨の時を自分自身の内に持っています。イエス様に頂いた新しい命が終末・主の日の復活へ続くことを知っています。だから絶望はありません。そして、十字架の上で、人のすべての苦しみを知り・経験しておられるイエス様が、私たちの苦悩を共に苦しみ、逃れの道を示していてくださることを知っているからです。み言葉は、その日を見つづけながら、聖書のみ言葉と教会の先人たちの経験を学び、イエス様の足跡を慕い、宣べ伝える、証し人になりなさいと私たちに呼びかけています。
そのために主イエスは、生きた自らの体として、教会をお造りになり、私たちを生きて働く枝として、聖霊により呼び集められました。私たちは、小さな者、粗末な土の器に過ぎませんが、主の聖霊の器とされ、内に光の反射を受けている器です。主からの光によって恵みが与えられ、壊れにくい器、壊れても救われる器とされました。そして、真実を照らし出す主の光によって、主を徹底的に信頼し、信じる事が出来るような自由な者とされ、その知識や思いは使徒パウロのように主への従順へと変えられています。
光は私たちをイエス様に向かって成長させ、私たちの人格の光になり得えます。聖書には「わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。(ヨハネ14:21)」と書かれています。バプテスマに与り新しい着物を着せていただいたのですが、古い着物は切れ切れになりながら残っています。取り去るには教会生活の中でそれなりの時間がかかります。み言葉による新しい生き方が必要です。言葉によって深く考え、とらわれなく自由に、恐れず、自分の足で歩き出しなさい。心に決めてそうすれば、自分を変えていただく事が出来ます。み言葉はイエス様の写しであり、世と、古い自分とたたかう力があります。好き勝手な自己中心の生活をしないこと、差別され、貧しく苦しむ人々と共に、他者のために、憐れみと義に生きられたイエス様の品位ある生活に学びなさいと言っています。主の「生」に学ばなければ、世の支配権力、金の力、“世の倣い”のマインドコントロールによって、押しつぶされ、心ならずも、あるいは心を変えさせられて、サタンの側に連れ去られます。
戦前のキリスト者が朝鮮・中国に対する戦争への協働者になってしまったこと、金儲けと、核武装への備え、猛毒の核廃棄物で10万年もの間汚染する原発を受け入れたことなどその例です。主は、「私の弟子のあなた達は、世の苦しみに逃げることなく、向き合う事が出来るでしょう」と言われています。「光の武具」とは、み言葉であり、イエス様ご自身です。み言葉は「聖書において、われわれに証しされているイエス・キリストは、われわれが聞くべき、またわれわれが生と死において信頼し服従すべき、神の唯一の御言葉である。」とのべられています。  (飛永孝神学生)

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