本日のローズンゲンの御言葉です。

主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。詩篇9:11
主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。2テモテ4:17
先週の土曜日、6月23日は、『沖縄慰霊の日』でした。
沖縄戦終結から73年経ったこの日、沖縄戦を生き抜き、現在、戦争体験の「語り部」として活動されている日本聖公会沖縄教区司祭の石原絹子師の記事が掲載されていました。石原師は、7歳の時、沖縄本土で地上戦を目の当たりにしています。ある日の夕方、日本兵が突然、石原師ご一家がいる防空壕(ぼうくうごう)に入ってきて、母を取り囲んだかと思うと、銃口を突きつけ、怒鳴ったそうです。「子どもたちを殺すか、さもなくば、ここから出ていけ」「皇軍とは名ばかりだった」と石原師は振り返っています。防空壕を追われた一家は、艦砲射撃や焼夷弾の雨が降り注ぐ中、必死に逃げ惑います。
硝煙と砂煙が立ち込める大地で、死を覚悟しつつ、ほかの避難民と一緒に、沖縄島南端の摩文仁村を目ざしました。そこには、同じように南部を目指し、行き場を失った避難民の数はおよそ10万人、残存兵が3万人いたそうです。追い詰められた時の絶望感は、石原氏の記憶に今も鮮明に残っています。
「私たち、もう死ぬのかな」石原師がお母さんに尋ねると、お母さんは真っ黒に汚れた顔で力なくうなずきました。しかし、それでも歩みを止めるわけにはいきません。敵艦隊からの艦砲射撃が大地を震わせ、あたり一面、血の海と死体の山になっていきました。気がつくと、お母さんとお兄さんがいませんでした。
砲撃に倒れてしまったのです。石原師は、3歳の妹の手を引き、1歳の妹を背中におぶって歩み続けました。しかし、いつの間にか背中の妹の息は絶え、数日後には、もう一人の妹も「お姉ちゃん、お水をちょうだい」と言いながら死んでいきました。
こうして、石原師は、戦争で父、母、兄、2人の妹を亡くし、天涯孤独になってしまいました。「お父さん、お母さん、私を迎えに来て! お兄さん、私ところに来てちょうだい」
いくら叫んでも、返事はありませんでした。「この時、いちばん憎いと思ったのは」という質問に対して、石原師はこう答えています。「米軍でも日本軍でもなく、いちばん大好きだったはずの母親だったのです。『なぜ私を置いて逝ってしまったの。こんなにつらくて悲しい思いをさせるために私を残したの。どうして私を産んだの』。こんなことばかり考えてしまいました。母だって、生きたかったはず。私を残したくなんかなかったはずです。幼かったとはいえ、こんなことを考えてしまって、申し訳なかったなと今は思っています」
死体の山の上で気を失っていた石原師を助けたのは、それまで「鬼畜米英」と教えられていた米軍の衛生兵でした。胸元にキラキラ光る十字架のペンダントがまぶしかったそうです。それから、石原さんは捕虜収容所に連れて行かれ、そこでは温かいミルクやパンをもらうこともできました。食べ物もなく、数日間、何も口にしないこともあった暮らしから一転、米軍には豊富な食べ物がありました。
優しい神父が時おり手招きをして、聖堂に見立てたテントへ招いてくれました。そして、子どもが大好きなイエス様の話を何度もしてくれました。その後、成人してから、クリスチャンだった義母の導きによって信仰の道へと導かれました。
「福音を伝えることは、平和を伝えること」との思いで献身し、2008年、日本聖公会では沖縄県で初の女性司祭になりました。
「この悲惨な戦争を絶対に繰り返してはいけない。現在、日本は戦前回帰のような気配が漂っていますが、戦争がどんなに悲惨なものであったか、沖縄は知っています。どうか皆さんも一緒に考えてほしい。沖縄で何があったのか、そして、これから先、何が起ころうとしているのかを知ってほしいと思います」
戦後生まれが沖縄県民の9割近くになり、戦争の記憶が薄れつつある中、今も米軍基地が造られ、在日米軍の施設の約7割が沖縄に集中しています。そんな中、戦争の記憶を忘れないために、今年も沖縄を訪れる修学旅行生に対して、石原師は語り部として、学生たちに真の平和を説いています。
本日の箇所には、次のように記されています。
「主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。」
この御言葉を読みながら、先日読んだ石原師の記事を思い起こしました。そんな中、7歳でご両親や兄弟を失い、天涯孤独になる中で、石原師が 「いちばん憎いと思ったのは」 という言葉について考えさせられました。「米軍でも日本軍でもなく、いちばん大好きだったはずの母親が憎かった。」
記事を読みながら、いちばん近くにいてほしい時に、いちばん近くにいてほしい人がいてくれないことへの深い悲しみとやり切れない思いが、このような感情で湧き上がったのかも知れません。
石原師の言葉に様々なことを思いながら、本日の御言葉の 「主はわたしのそばにいて」 との言葉が心に迫ってきました。
石原師がそうであったように、私たちにとって、本当に辛いことは、いちばん近くにいてほしい時に誰も近くにいてくれないことかも知れません。しかし、そんな私たちに、聖書は変わることがない約束として次のように語っているのです。
「主はどんな時にも私たちと共にいてくださる」 それが 「インマヌエル(神我らと共におられる)」 の意味です。
この主は、私たちがいちばん近くにいてほしい時、いちばん近くにい続け、私たちを支え、励ましてくださるのです。本日の御言葉を読みながら、そして、石原師の記事を読みながら、改めて、「主が私たちと共にいてくださる」との福音のメッセージのかけがえのなさについて考えさせられました。(鈴木牧人)

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