本日のローズンゲンの御言葉です。
地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。創世記26:4
東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。マタイ8:11
本日の箇所には、次のように記されています。
「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。」
この言葉は、イサクに対して語られた言葉ですが、この時、イサクがどんな状況に置かれていたかについて、聖書はこのように語っています。
「アブラハムの時代にあった飢饉とは別に、この地方にまた飢饉があった」(創世記26:1)
このようにイサクは、この時、飢饉の中に置かれていました。それゆえ、本当であれば、エジプトに避難して、生活を整えたかったのだろうと思います。
しかし、神様がイサクに現われ、次のような言葉を告げるのです。
「エジプトへ下って行ってはならない。わたしが命じる土地に滞在しなさい。あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する。」(創世記26:2-3)
このように、神様はイサクに対して「エジプトに下って行ってはならない」と告げたのでした。
その後、さらに、本日の御言葉にあるように「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」と約束されたのでした。イサクはこの時、どんな思いで神様からの言葉を聞いたのでしょう。
目の前の状況としては、大変厳しい飢饉の現実がありました。
イサクは、神様から「エジプトには行くな」と言われたので、結局、エジプトに行くことをやめます。
しかし、代わりにゲラルの町に移住することにするのです。
そして、イサクは、このゲラルで、町の人たちを恐れて、父アブラハムと同じような失敗を犯すのでした。
そんなイサクの姿を見る時、「どんな厳しい現実の中でも、変わらずに揺るがない信仰を持ち続けている」というふうには必ずしも言えないんじゃないかと思ったります。
むしろ、厳しい現実に翻弄され、心揺れたり、迷ったりしながら、それでも必死に信仰を見失わないようにしながら、神様の御言葉に耳を傾け、その御言葉の繋がって歩もうとしている…。
そんなイサクの姿があるのではないかと思うのです。そして、そのようなイサクの姿を思い浮かべながら、考えさせられ、教えられるように思いました。
私たちも日々の色々な現実の課題に向き合わされる時、どんな現実の中でも変わらずに揺るがない信仰を持ち続けているんだ!と断言できるようなことばかりではないかも知れません。
自分なんかと思う時、むしろ、日常の些細なことがらで翻弄されていたり、心揺れていたりすることがあるように思います。しかし、心揺れたとしても、迷いそうになったとしても、その現実の只中にあって、信仰を見失わないことが大切なのだと思います。
心揺さぶられつつも、その中で御言葉の約束を心静め、色々な迷いを抱えつつも、「この御言葉を信じよう」という思いでもって御言葉を受け止めていこうとする…。
それが私たちの信仰なのではないかと思うのです。
色々な出来事の中で、中々神様の祝福が見えなくなったしまいそうになることがあります。
しかし、主に信頼し、応えていくことの先に確かな主の祝福があるんだと信じ、期待して歩んでいきたいと思うのです。 (鈴木牧人)