「思い煩わないでほしい」
Ⅰコリント7:25-40
本日の箇所には、未だ結婚していない人たちに対して、「現状にとどまっているのがよい」(7:26)との呼びかけがなされています。その理由として挙げられているのは、「そのほうが、その人が色々なことに煩わされることなく、自由に主に仕えることができる」ということでした。加えて「今危機が迫っている状態にあるので」ということも語られています。ここで言われている「危機」については解釈が分かれています。イエス・キリストがやがて来る「再臨の時」を指しているのだとの解釈もありますし、実際にこの時、具体的に何かひっ迫した緊急事態がコリントの町を襲っていたのではないかとの解釈もあります。色々な受け止め方がなされているのですが、いずれにしても、この時、コリント教会の人たちが切迫した危機感を感じていたことは確かなのだと思います。そのような状況の中で、パウロはコリント教会の人たちに「現状にとどまっているのがよい」と勧めました。現在の状況で慌てて、あれこれと何かするより、落ち着いて、現状のままとどまっていた方がいいと言っているのです。
パウロは本日の箇所で「泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。」(7:30-31)と語っています。このことについて、注解書にこんな解説がありました。「嘆く者は嘆きにはまってしまう。喜ぶ者は幸せに無我夢中になってしまう。買う者は新しい持ち物に夢中になってしまう。困難が広まり、時が迫っている今、衆人は動揺のあまり、平常心を失ってしまう」(ティンデル聖書注解『コリント人への手紙第1』P.136)。それゆえパウロは、7:30-31のメッセージを語ったのだというのです。泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のようにしながら、今見ているものが全てではないんだということをわきまえて、違う視点から事柄を見つめなさい。何より、この世の有様というのは、すべて過ぎ去っていくんだということをちゃんとわきまえなさいと語っているのだと思います。この言葉からも切迫した危機的状況を前にして、目の前のことに一喜一憂し、そのことしか見えなくなってしまっているコリント教会の人たちの姿を思い浮かべました。そして、それというのは他ならぬ時々の自分自身かも知れません。
本日のパウロの御言葉を読みながら、時々の自分自身を思いながら心に留まったのが、「思い煩わないでほしい」(7:32)との言葉でした。この言葉は色々な受け止め方ができるかも知れませんが、何より思ったのは、この時、コリント教会の人たちが色々なことで心が思い煩っていたのではないかということです。そんなコリント教会の人たちの思いを思いやりながら語りかけている言葉ではないでしょうか。現状としては色々な課題があって、無視できないような現実的な危機も確かにあるけれど、それらのことはすべて過ぎ去っていくことをわきまえながら、どんな時にも変わらない主を見上げなさい…。その主に信頼し、あなたたちの抱えている思い煩いをそのまま一切、主の御前に差し出してほしい…。そういうメッセージであるように思うのです。