本日のローズンゲンの御言葉です。
お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。ヨナ4:10-11
自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。1コリント10:24
本日の箇所には、次のように記されています。
「自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。」
本日の箇所を読みながら「自分の利益を追い求める」ってどういうことだろうと思い、ギリシア語の原文を調べてみました。
すると、原文では「自分の利益」という言い方はされていませんでした。
「利益」という言い方ではなく、正確には「自分自身」とだけ書かれていたのです。
岩波訳の聖書には、次のように訳されています。
「誰も自分自身のことを求めてはならず、むしろ他者のことを(求めなさい)」(岩波訳)
そんなふうに原文を調べながら、ここでは単に「利益」のことだけが言われているのではないんだなと思いました。
以前、ある人がこんな話をしていました。
若い頃、その人は、自分自身の人生に思い悩み、悶々とした日々を過ごしてました。
自分自身にも嫌気がさして、自暴自棄の思いにもさせられていたそうです。
そんな中、ある時、カウンセリングの先生を訪ねて、自分の今の率直な思いを伝えました。
そして、必死に「どうすれば自分は変われますか」と尋ねたそうです。
すると、その先生はしばらく考えた後、こう言ったそうです。
「そうですね。
まず、『自分が変わる』ことから解放されることじゃないでしょうか。
今のあなたはあまりにライトを自分のほうばかりに向けているんじゃないですか。
そんなふうにライトを自分のほうばかりに向けているから、自分ばかり見えてしまう…。
ですから、自分のアラなんかも見えてしまっているのかも知れません。
そんな自分に解放されることが必要なんじゃないかと思います。
そのライトを周りに向けてみたらどうでしょう。
そして、自分ではなく、周りに注目したらどうでしょう。
そんな中、『自分が変わろう』とする思いからも解放されることが必要なんじゃないでしょうか。」
その先生の言葉を聞いて、その方はハッとさせられたそうです。
そして、肩の荷がスッと落ちたように思ったと話していました。
この人は、カウンセリングの先生の言葉で、それまでどこか「自分が」「自分が」という思いに縛られてしまっていた視点が変えられ、解放されたのでした。
本日の御言葉を読みながら、そのことを思い出しました。
つい自分の殻に閉じこもったり、自分のことで一杯一杯になってしまうことがあります。
そんな中、改めて、本日の箇所から、「自分自身を追い求めてばかり自分」や、そのことに砕かれ、解放されることの大切さを思いました。 (鈴木牧人)