本日のローズンゲンの御言葉です。

あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持を知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。出エジプト23:9

ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去った。マタイ2:14

山田康文くんという子が記した 『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』 があります。

『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』

ごめんなさいね おかあさん / ごめんなさいね おかあさん / ぼくが生まれて ごめんなさい

ぼくを背負う かあさんの / 細いうなじに ぼくは言う / ぼくさえ 生まれてなかったら

かあさんの しらがもなかったろうね / 大きくなった このぼくを / 背負って歩く 悲しさも

「かたわの子だね」とふりかえる / つめたい視線に 泣くことも / ぼくさえ 生まれなかったら

康文くんは、生まれた時から全身が不自由で書くことも話すことも出来ません。養護学校の先生は、康文くんを抱きしめながら、一言一言言葉を投げかけます。それに対して、康文くんはウインクで「イエス」、舌を出して「ノー」を答えるそうです。そうして作った詩が 『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』 です。

この詩を書くだけで1ヶ月かかったそうです。この詩を読んだお母さんは、康文くんに詩を作りました。

わたしの息子よ ゆるしてね / わたしの息子よ ゆるしてね / このかあさんを ゆるしておくれ

お前が脳性マヒと知ったとき / ああごめんなさいと 泣きました / いっぱい いっぱい 泣きました

いつまでたっても 歩けない / お前を背負って 歩くとき / 肩にくいこむ重さより

「歩きたかろうね」 と 母心 / ”重くはない”と聞いている / あなたの心が せつなくて

わたしの息子よ ありがとう / ありがとう 息子よ / あなたのすがたを 見守って

お母さんは 生きていく / 悲しいまでの がんばりと / 人をいたわる ほほえみの

その笑顔で 生きている / 脳性マヒの わが息子 / そこに あなたがいるかぎり

お母さんの詩を受け止めながら、康文君は、また詩を作りました。

ありがとう おかあさん / ありがとう おかあさん / おかあさんが いるかぎり

ぼくは 生きていくのです / 脳性マヒを 生きていく / やさしさこそが、大切で

悲しさこそが 美しい / そんな 人の生き方を / 教えてくれた おかあさん / おかあさん

あなたがそこに いるかぎり

康文くんは、15歳で亡くなりました。横になって寝ていたとき、枕が顔を覆い、窒息死してしまったのです。

康文くんで、康文くんのことを書いた本を記した向野幾代さんは復刊にあたって、このようなことを書き記しています。

「あの子の詩は障害者が『ごめんなさいね』 なんて、言わなくてもすむような世の中であってほしい、というメッセージ。今もこうして皆さんの心に、呼びかけているんですね。いま、障害者の問題は、高齢者の方たちの問題でもあります。『老いる』というのは、障害が先送りされているということ。歳をとると、足腰が不自由になって車椅子が必要になったり、知的障害になったり…健常者の方も、たいていはいつか障害者になるんですよ。だから康文くんたちは私たちの先輩。世の中をより良くするよう切り開いてきた、パイオニアなんです」

本日の箇所には、次のように記されています。

「あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持を知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。」

寄留者とは、当時の「社会的弱者」でした。そんな寄留者たちを決して、虐げるようなことがあってはならないと聖書は語るのです。何故なら、あなたたちも彼らと同じ弱い時があったはずだし、彼らの気持ちを知っているはずだからと…。本日の御言葉を読みながら、山田康文くんの詩を思い出しました。

向野幾代さんが言われるように、私たちも年を重ねればやがて障がいを抱える者となります。

私たちが互いにそのことをよくよくわきまえながら、痛みや弱さを抱えた相手を思いやり、その気持ちに寄り添おうとしていくこと…。

神様が私たちを招こうとする世界というのは、何より、そのような世界なのだと思います。 (鈴木牧人)

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