「自分で判断しなさい」

Ⅰコリント10:14-22

 本日の箇所で、パウロは「わたしの言うことを自分で判断しなさい」(10:15)と語りました。どんな思いで、パウロはこのようなことを語ったのでしょうか。パウロはこれまで手紙の中で、コリント教会の人たちに対して、様々なメッセージを語ってきました。それらのメッセージというのは、コリント教会の人たちが聞いても、聞かなくてもどっちでもいい…。自分で勝手に判断して構わない…。そういう意味で、パウロは語りかけているのでしょうか。決して、そうではないと思います。これまでパウロが語った言葉は、一つ一つがコリント教会の人たちにとって大切なメッセージでした。しかしパウロは、それらの大切なメッセージを語った上で、「わたしの言うことを自分で判断しなさい」と呼びかけているのです。最終的には、自分できちんと考え、自分で判断し、自分で選び取りなさいと呼びかけているのです。私はこのパウロの呼びかけに、パウロの人々への大切な関わり方が表れているのではないかと思います。パウロはどれだけ思いをもって、コリント教会の人たちにメッセージを語っても、それを押し付けようとはしませんでした。それは何より、コリント教会の人たちが、自分たちで考え、判断し、選び取っていかないといけないし、そうしてほしい…。そうではなければ意味がない…。そのように考えていたのではないかと思います。

このことは、私たちの中で、最も大切な信仰の姿勢の一つなのだと思います。特にバプテストに立つ私たちが大切にしている信仰がここにあります。バプテストが最も大切にしているのは、主体的な信仰です。自分で考え、自分で判断し、自分で選び取って決める…。そのような信仰を大切にしています。それゆえ、聖書の読み方一つとっても、私たちは「こういうふうに読まなければいけない」というスタンスを取りません。私たちそれぞれが、自分たちの読み方で聖書を読むということを大切にしています。そして、私たちはそのような仕方で聖書を読みながら、自分の言葉で信仰を告白することができる…。また、自分の言葉で祈ることができる…。それが、私たちバプテストが大事にしている信仰のスタンスなのです。ですから、本日の「わたしの言うことを自分で判断しなさい」という御言葉は、私たちバプテストの信仰の根幹につながっているメッセージと言えるのではないかと思います。ただ、その一方で覚えていたいことがあります。そのように自分で考え、自分で判断し、自分で選び取って決めるということは、リスクと責任が伴うということです。私たちが自分の考えで自由に選び取ることができる…。それはある意味、ものすごく恐いことでもあります。危ういことです。そのことのリスクと責任をもきちんとわきまえなければならないのだと思います。そして、そのような危うさや責任を自覚すればするほど、私たちは自分一人では信仰を歩めないんだということに気づくのだと思うのです。しっかりと御言葉につながっていかなければいけない…。教会の交わりにつながっていかなければいけない…。そういうことに気づかされていくのだと思います。私たちは教会の交わりの中で、共に御言葉に聞きつつ、互いにも聞き合いつつ、自分たちの信仰をそれぞれ選び取っていくのです。

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