「人々を救うために」

Ⅰコリント10:32-11:1

 本日の箇所で、パウロは「ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい」(10:32)と語っています。この言葉を読みながら、「自分はどうだろう」と考えさせられました。自分は、周りの人たちに対して、そして、教会の人たちに対して、人を惑わす原因となっていることがないだろうか…。そんなことを考えながら、大いに反省させられるように思いました。何というのでしょう。こんなことは決して開き直れることではないのですが、私たちというのは、間違いも犯しますし、失敗もしてしまいます。良かれと思ったことで、相手に迷惑をかけたり、振り回してしまうこともあるのだと思います。そんな足りないところだらけ、欠けたところだらけの私たちがいるのだと思います。でも、そんな私たちが、それでも、神様に受け入れられ、赦されているのです。そして、その神様は、それでも、そんな私たち一人一人を主の器として立ててくださり、私たちのことを「御自身の民」「キリストの教会」と見なしてくださっているのです。そのことを信じるのが、私たちの信仰なのだと思います。ですから、「人を惑わす原因にならないようにしなさい」と言われた時に、正直、「自分はそうはなりません」とは言い切れない私たちがいるのだと思いますし、そのことをよくよくわきまえることは大事なことなんじゃないかとも思います。でも、そういう自分をわきまえながらも、「こういうことだけは忘れないでいたいよね」「こういうことだけは大事にしていきたいよね」ということもあるのだと思います。本日のメッセージをそんな視点で聞いていきたいと思います。

そんな中、迫ってくる御言葉は、本日お読みした御言葉の直前にある言葉です。「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(10:31)「このことは大切にしたいよね」と言われていることがここにあるのではないでしょうか。私たちは間違いも犯しますし、失敗もします。しかし、それでも、私たちなりに、一つ一つのことを神様のことを思って、神様の栄光を現わすために、自分たちのできることをしていこうとする…。そういう思いを大切にしたいと思うのです。

もう一つ、10:23-24の御言葉も心に迫ります。「『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことが益になるわけではない。『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。」(10:23-24) 私たちは、何事にも縛られていないですし、すべてのことが許されています。けれども、私たちは本当の意味で益となることを求めて歩んでいきたいと思いますし、互いに造り上げる歩みをしていきたいと思うのです。そして、そのためにも、自分のことばかり考えるのではなくて、目の前の人や、私たちの周りにいる人たちのことを思いやることを大切にしていきたいのだと思うのです。このことも、私たちにとって、「このことは大切にしたいよね」ということなのではないかと思います。

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