「恐れなくていいんだよ」

マタイ1:18-24

ヨセフは大工でした。これまで、大工として生きてきたヨセフが、マリアという女性と結婚することになりました。ヨセフにしてみれば、これまで堅実に生きてきて、ようやく得た幸せだったのではないかと思います。そんなヨセフにある時、思いもよらないニュースが飛び込みます。自分の婚約者であるマリアが妊娠をしているというのです。ヨセフには全く身に覚えがないことでした。ヨセフにしてみれば、幸せムードから一転、奈落の底に突き落とされるような心境だったのではないでしょうか。マリアに対して、色々な思いが湧き上がってきたんだと思います。「何で?」「どうして?」「とても信じられない」そんな思いがわきあがってきたのではないでしょうか。

聖書には、「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」(1:19)と記されています。この御言葉を読みながら、二つのことが迫ってきました。一つは、「ひそかに縁を切ろうと決心した」ということです。ヨセフは、突然の出来事にショックを受け、悩み、苦しんでいたのだろうと思います。正直、中々、この問題を自分の中で整理することはできなかったんじゃないかと思います。一方で、ヨセフは、マリアとのことをどうするべきか、あれこれと「ひそかに」悩んでいました。この問題を誰にも言えず、自分一人で悩んでいたのです。加えてもう一つ、心に迫ってきたのは、「夫ヨセフは正しい人であったので」という言葉です。こんなふうに書かれているのですから、ヨセフは、本当に真面目で正しい人だったのだと思います。しかし、そうであるがゆえに、色々なものを抱え込んでしまっていたのではないだろうかと思ったりします。正しくあろうとするがゆえに、どうしても、こうじゃなきゃいけない…。こうあるべきだという思いが先に立ってしまって、心を狭めてしまっていると言いますか、思い詰めてしまうようなところもなかったろうかと思うのです。

そんなヨセフの姿を思いながら、複雑な心境が痛いほど分かります。ヨセフは散々、悩み苦しんだんだろうなと思うのです。そうして出した答えが、マリアとの離縁でした。ヨセフの苦悩が分かるなと思えば思うほど、時に私たち自身がヨセフのような状況になっていることがあるかも知れないと思ったりします。目の前の問題に悩み苦しみながら、そのことを誰にも打ち明けられずに、一人で抱え込んだりしながら、自分なりの正しさで必死に答えを出そうとしている…。私たちもこういうことってあるんじゃないでしょうか。まさに本日のヨセフは、時々の私たち自身であるかも知れません。そして、そのように思う時、本日の箇所から何より痛感させられることがあるのです。それは、神様が何より、放っておけないと思われているのも、こういう人たちなんだということです。ヨセフのように、目の前の問題に悩み苦しみながら、そのことを誰にも打ち明けられずに、一人で抱え込んでいる…。自分なりの正しさで必死に答えを出そうとしている…。神様はそんな人を放っておけない…。そんなふうに思われているのだと思うのです。

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