本日のローズンゲンの御言葉です。
人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びを/わたしの心にお与えください。
詩篇4:8
この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。1テモテ6:17
本日午後、Hさんのバプテスマ準備クラスがもたれます。
いよいよ日曜日にバプテスマを備え、最後の準備クラスです。どうぞ、よい備えの時が与えられますように、お祈りください。私は、どなたかのバプテスマが行なわれる度、思い出すことがあります。
福島にいた時のことです。その時は、二人のバプテスマが行なわれ、バプテスマを行なった後、歓迎の祝会が行なわれました。その祝会の中で、教会の人たちが色々なアドバイスをしました。
「これからよろしくね」と声をかける人もいましたし、「嬉しいです」と言う人もいました。
しかし、その中で、教会で長い間、信仰生活を守っている方がこんなことを言いました。
「信仰生活は楽しいことばかりじゃない。色々あって、大変な時だってある。そのことも覚えておいてね。」
そのように話していました。私はそれを聞きながら、信仰の先輩としての思いを込めて、このようなことを語ってくださっているんだなと思いました。そんな中、私の番になったので、このように話をしました。
「確かに、信仰生活は楽しいことばかりじゃないかも知れません。けれども、私はその中で大切にしたいなと思っていることがあります。それは『イエス様に感動する信仰』を大切にしていきたいということです。
きっとバプテスマを受けた今のこの時、イエス様への感動を心に噛み締めておられるんじゃないでしょうか。その感動をぜひ忘れないでいたいと思うのです。これからきっと聖書を学びながら、色々なことを知ったりするのだと思いますし、信仰生活の中で色々なことを経験するんじゃないかと思います。そんな中、色々なことを考えたり、色々な思いを通らされたりするかも知れません。でも、心のどこかでいつも、この救われた今日の日の時の感動を、『イエス様に感動する信仰』を見失わないでほしいなと思います。
もし、どんなに聖書の知識に精通したとしても、色々なことに成功を収めたとしても、私たちの中で、この信仰を見失っているとするなら、私たちは何か大事なところから迷いこんでしまっているんじゃないかと思います。大切なことは、この救いの喜びを『イエス様に感動する信仰』を見失わないことです。そうすれば、大事なことを見失わないでいられるのだと思います。」
そのようなお話をしました。私は、どなたかのバプテスマが行なわれる度、その時のことを思い出します。
そして、その方が、ぜひこれからの信仰の歩みにおいて、この日の救いの喜びを、『イエス様に感動する信仰』を持ち続けて歩んでいってほしいと思うのです。
本日の箇所には、次のように記されています。
「人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びを/わたしの心にお与えください。」
ここには、神様が私たちに与えてくださる喜びが、麦やぶどうを取り入れる喜びにまさるんだということが書かれています。本日の御言葉を読みながら、改めて、『イエス様に感動する信仰』を思いました。
私たちの歩みには、今も色々なことがあります。嬉しいことも、そうではないこともあります。
そんな中、改めて、私たちの信じる主のもとには、この世にまさる喜びがあるんだなということを覚えていきたいと思います。日曜日の礼拝が、そのような私たちの信仰の原点を今一度確認し、「イエス様に感動する信仰」を新たに噛み締める時とさせられたらと思います。
何より、Hさんの体調が守られ、当日の天候が守られますよう、お祈りください。(鈴木牧人)