本日のローズンゲンの御言葉です。

あなたはわたしの嘆きを踊りに変え/粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。詩篇30:12

その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。ルカ17:15

以前、ある先生がこんなことをおっしゃっていました。

「誰しも、イエス様のことを最初から完ぺきに信じることなんてできないんだと思う。

みんなそうなんじゃないだろうか。

多くの人は、最初、『はたして、聖書に書かれているのことは本当なの?』というところから始まったりするんじゃないだろうか。」

その先生は、そんなにふうに言われながら、「ぼくはそれでもいいと思うんだ」と話していました。

そして、次のように続けておられました。

「『はたして本当なの?』というところから始まって、聖書の言葉に耳を傾ける。

そんな中、聖書の言葉に出会いながら、色々なことを通らされながら、『本当なの?』という思いが次第に『本当かも』という思いに代わっていくということがあるんじゃないだろうか。

そして、それがさらに様々な経験を経て、『本当だ!』という思いに変えられていく。

信仰の中でそういう経験をさせられていくことがあるんじゃないかと思う。」

本日の箇所には、次のように記されています。

「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。」

本日の御言葉を読みながら、先ほどの先生の言葉を思い出しました。

この人も、最初はイエス様を求めつつ、心のどこかに「本当なの?」という思いがあったのではないかと思います。

そんな中、イエス様に取り扱われ、病を癒されることを通して、「本当だ!」という思いが与えられ、心が讃美に溢れていったのではないかと思うのです。

改めて、私たちの信仰というのは、様々な紆余曲折を通らされながら、次第次第に育まれていくものなんだなと思いました。

本日の病める人のように、しんどい思いを通らされ、「神様何でですか?」という思いを通らされたり、「神様って本当におられるの?」と思わされたり、神様にすがるようの思いで求めて祈ったり…。

そんな色々な思いを通らされつつ、育まれていくということがあるのではないかと思います。

本日の箇所を読みながら、そんなことを思いました。

そんな中、今の私たちの思いをそのまま、主に明け渡しながら、主に向かっていきたい…。

そんなふうに思いました。(鈴木牧人)

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