「全体の益となるため」Ⅰコリント12:4-11

本日の箇所でパウロがくり返し語っている言葉があります。それは「同じ」という言葉です。「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です」(12:4-6)。ここでパウロが「同じ」という言葉を繰り返しているのには、理由があったのだと思います。コリント教会の人たちの中で、こういうことが分からなくなっていたのではないでしょうか。実際、私たちはこれまでパウロの手紙を通して、コリント教会の人たちの様子を見てきましたが、手紙を読みますと、コリント教会の人たちが自分たちのことしか考えていないんじゃないかと思う様子が記されています。たとえば、主の晩餐を行なうのであっても、自分たちが満たされることばかりを求めて、隣にお腹を空かせた人がいても「自分とは関係ない」としている状況がありました。またせっかく教会の中に、素晴らしい霊的賜物を持っている人たちがいたり、素晴らしい働きが起こされていても、それが個別の事柄になっていて、自分たちのことだけで完結してしまっていたのでした。お互いがバラバラになり、互いの賜物や働きについて競い合っていたのです。そんなコリント教会の人たちに対して、「それはよくない。互いに同じ主を見上げながら、主のからだとして全体を見据えながら、それらのことが捉えられていく視点が大事なんだ」ということを語っているのが、本日のメッセージなのだと思います。パウロは12:7で「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです」と語りました。この言葉にあるように、一つ一つの霊の賜物や働きが主のからだとして全体を見据えながら捉えられていくことが大事なんだと語ったのです。このことは私たちの歩みでも問われていることなのではないでしょうか。

本日の箇所を読みながら、本当に大事なメッセージだなと思いました。同時に身につまされる思いにもなりました。分かっているようで、中々できないことだったりするのではないでしょうか。そんな中、私たちが互いにキリストのからだとして、それぞれの賜物を生かしあい、それぞれの務めを果たしていくことができるとするなら、三つのことを大切にしていきたいと思いました。それは「対話」と「祈り」と「御言葉」です。私たちが互いに一つとされていくために、何より「対話」が大切なのだと思います。私たちは互いに考え方や意見の違う者同士です。そんな私たちが頭越しに相手を「違う」とか、「間違っている」と決めつけてしまうのではなく、可能な限り真摯に相手の声に耳を傾けることに努めながら、自分の思いを丁寧に相手に伝えようとしていく「対話」が大事だと思います。しかし、「対話」は、本当にエネルギーや忍耐が必要です。そのために大切だと思うのは「祈り」です。そして、目の前の出会いを大切にしつつ、私たち自身が立つべきところにしっかりと立つために、何より「聖書の御言葉」に聞き続けていきたいと思うのです。そのように「対話」し、「祈り」、「御言葉」に聞く中で、始まっていく歩みがあるのではないかと思うのです。

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